ココロあたたまる応援歌 その1
1992年8月号

友達でも、ギャラリーでもない
応援団からのお便りに……
嬉し涙ちょちょぎれ!


 

先日お届けした、1992年のドリコンGP開幕戦
第1回からエントリーし続けた村尾選手が、
念願の初優勝……これに心を動かされた読者さんから、
一通の手紙が届きました。

内容は、COFFEEブレイク欄を見ていただきたいと思いますが、
このシトは、どうして、こういう投稿を、
せずにはいられなかったんでしょ?

文中にもあるように、
『ボクは、村尾さんの友達でもなければ、知り合いの知り合いの
そのまた知り合いでもありません……』
とあるように、まったくもってのアカの他人でございます。
なのに、どうして、ホワイ、ファッチュン?

このあたりに、ドリコンGPが圧倒的支持を受けた
最大の理由があるように思えてなりません。

通常のレースなら、出場ドライバーのファンであったり、
関係者であるなら別ですが、アカの他人が、
優勝したドライバーと同じように喜び、感動し、
その思いを手紙にシタタメルというようなことが、
そんじょそこらに転がっているはずはありません。

でも、ドリコンGPというイベントは、
エントリーするドライバーだけではなく、
そこに『参加』したギャラリーが、
そして、現場に行くこともなかったその他ピープルが、
このように、直接的な感動や感激、そういうものを
共有するレースでありました。

ま、村尾選手の場合、判官贔屓という面が
あったことは否定できない事実ではありますが、
それを踏まえたうえでも、『異常なレース』でありました。

村尾選手は、このときの優勝ゲットから、
ドリコンGPでのグランドチャンピオン戦、
そして、TOM`Sのワークスドライバーという
チャンスを手中にしました……。

CARBOY Returns! 関連で、中井くんのパーティーに、
織戸くんや卍くんと一緒に集まって、

『ドリコン同窓会』をやろう。

そういう呼びかけに応じてくれた村尾選手は、
昔っから知っている『村尾』で、
最近趣味にしている写真の話をいろいろと、
教えてくれました。

「そういえば、TOM`Sの件、なんで終了したんやったっけ?」

「あ〜、アレっすね〜、ボクに勝負への執着心というか、
そういうものが、足りなかったというか、ま、なんか、
そ〜ゆ〜感じっすかね〜(笑)」

「140km/hサイドを引いたときや、レーシングスクールで、
指導員をうわまわるラップタイムを狙ったときとは違ってた?」

「そ、ソウっすね〜(笑)」

村尾慎吾……いいオトコであります。
初めてCARBOY編集部であったときの
バーミューダー姿が、いまでも目に焼き付いております。

 

村尾選手の記事はコチラ


   ◇       ◇       ◇

いや、こんな思い出話だけでは、ちょいと申し訳ないので、
エビスでのドリコンGPを控えた時期に掲載された、
エビスサーキット攻略法のページも同時掲載させていただきます。

こんなことに、当時は真剣に取り組んでおりました、とさ。

 

 

 

 

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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