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エビスを舞台に、村尾……遂に勝つ!

1992年6月号(エビスサーキット)

曇りのち晴、ときどきミゾレのエビス
3年目を迎えたドリコンGP開催
いやあ、この戦いは……どう、なる?

 

1992年度のドリコンGP第2戦以降は、
クラス分けが再編された。

笑い命クラスが、審査員特別賞扱いとなり、
職人芸クラスが『頑固一徹職人芸』と
『ウルトラ職人芸』の2クラスに分割された。

というのも、職人芸クラスへのエントリーが、
飛躍的に増加した……という風潮がもとになっているのだが、
アクセル&ステアリング操作だけのドリフトにこだわる『頑固一徹職人芸』と
いうトラディショナルなクラスと、
サイドブレーキや直ドリ等の華麗でアクロバティックなドリフトを目指す
『ウルトラ職人芸』というチャレンジャーなクラスに分けようということだ。

ドリコンGPという、まったく新しいスタイル&構成の
レースを作り出したのはいいのだが、最初のアイデアや思いつきに
いつまでも固執していては……ま、最初はひょうたんからコマ状態ですから、
エントラントの動向に応じて、ドンドコドンッ!!と変貌していくのは、
ドリコンGPというイベントの性格上、あったりまえ〜であります(笑)

ということで開始された笑い命最後(?)1992年度のドリコンGP。

最初の第1戦は、逆反りバックストレートを有する
エビスサーキットであります。

ここで展開されたウルトラvs頑固一徹の戦いが、
今後のドリコンGPの動向を……ある意味、決定づけた?

いよいよ開始の1992年度の『ドリコンGP』第1戦である。
今年もエンドレスさんがドーン太っ腹作戦で、
優勝ドライバーをハワイのドライビングスクールに
ご招待していただけるというありがたいお話で、
エントリー野郎全員は、大ハリキリであります。
とにかく、すごい量の応募者のなかかからセレクトされた
今回のエントリーは、職人芸クラスがダントツに多く、
ホントの話、選ぶのに男させられました。
うれしい話です。でもそれだけに、エビスサーキットに
集まった60台を超えるマシンとドライバーの両方には、
これまでのドリコン以上のガッツが入っています。
ドリコン開催前日は、エビスサーキットの福島地方の天候は

ナント……雪でありました。

そして、当日は、曇りのち晴、ときどきミゾレという厳しい条件。
エビスに集結した1500人のギャラリーのうち、
300人が風邪ひいて、500人が発熱し、
残りの500人が鼻水ズルズル、体ガクガク……。
だけど、体はガタガタでも、気分はめちゃホット。
コース上で撮り広げられた熱い走りが『熱源』です。

 

 

 

下の写真を見ていただければおわかりのように、
1992年度開幕戦であるエビスを制したのは、
140km/hからのサイドブレーキドリフトを披露した
村尾慎吾……であります。

万年2位、無冠の低能……いや、帝王と呼ばれた
村尾慎吾が、ドライバーズシート内で
『立ち上がって』引いたサイドブレーキが、
このあとのドリコンGPの様相を一変させた。

このあたりの詳しい状況は、コチラを参考に
していただきたいです、ハイ。

 

☆グイグイ村尾の140km / hサイド 
ドリコンGP 1992年 第1戦

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上のYoutubeボタンを クリックして見ていただけますよう、お願い致します。

 

 

 

 

上のページを見ていただければおわかりのように、
ワンクラスとしては最後になる『職人芸クラス』は、
予選ポイントが3名同点。

結果、2台に絞られた同点決勝は、5度に及んだ。
最後の最後には、特別審査員の織戸&デブ渡辺が加わり
24点満点の採点で、最終決着が……ついたっ!

 

 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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