河西モータースPRIVATE DRAGGER取材

河西モータース(和歌山)

どうしてこのヒトが??とビックリする人間がゴマンといると思う
でも、河西モータースの和田さんは歴としたプライベーター
家業のかたわら、17年近くドラッグマシンを作り続けてきた
全国でも稀有な存在なのだ。河西流のドラッグチャレンジに肉薄!!

CARBOY1998年12月に掲載された、河西モータースのプライベートドラッガー取材。


先日、和田さんと電話した。2時間近く喋っていたと思う。

和田さんは、やっぱり『河西モータースの和田多博』だった。

ま、そのへんは、おいおいと紹介していきたいと思いますが、
とにかく、いろいろな取材でお世話になりました。

和歌山のこと、他のプライベーターのこと……和歌山には、
いっぱい材料があります。河西モータースサニーのサスペンションに
関する考え方、そして、下で紹介しているベンツを作っているときのこと、
FISCOで、和歌山の喫茶店で、認証工場の片隅で……。

そして、最後に話したのは
仙台ハイランドだったかな……いや、JDDAのWESTをやっているときに、
セントラルサーキットで会いましたね。

「藤本くん、なにしてんの?」
「ドラッグレースですよ」
「あ、JDDAな、そうか、そうやったんか」
「和田さんは?」
「いま、カートに戻って、またやってんねん」

その後、『河西モータースの和田多博』は、またまた進化していた。

ま、ぼちぼちと紹介させていただきます(笑)

☆kawanishi Drag 1985 - 1994


動画が見れない場合は、上のリンクのを クリックしてくださいませ。


 

    ※以下、当時のまま掲載させていただきますので※
    ※価格、仕様等は変更されている可能性が大です※


このベンツが登場してからずいぶんと時間が経った
その間に他のプロストックは驚異的な進化を示している
そのためにRBを導入して、本格始動し始めた河西SPL!!

歴代河西モータース製作車一覧
■高橋自動車スカイライン
CB BEST TIME 11秒857('84.07.17)
 谷田部で行なわれていた頃のCBゼロヨン&ゼロセンに
登場した箱スカは、なんと運転席が後部座席にあった。
もちろん、エンジン搭載位置がオフセットされていた。

■河西モータースサニー
BEST TIME NA 11秒347('85.12.02)
BEST TIME TURBO 9秒590('89.07.24)
 おなじみの河西モータースサニー。
みんながサスペンションやフレームで
悩んでいた時代に、ひとつの方向性を
びしっと示してくれたマシン。NAとターボ時代があった。
■リバーウエストJR130
CB BEST TIME 8秒739('91.08.06
 当時としては驚異的な8秒台をマークしながら、
短命に終わったのが、このリバーウエストJR130である。
その原因はHKSゼロドラッグの登場。これでベンツに移った。
■河西BENZ500SL
CB BEST TIME 8秒724('97.10.21)
全国のプライベーターがお手本にしたのが、このベンツ。
自作フレームとして、あるいは仕上げのきれいさ等で、注目の的。

©八重洲出版 

河西モータースがドラッグ
業界に波及させた効果??


五十にして惑わず……という。若い勉強嫌い諸君は、
わからないかもしれない。だけど、五十歳ともなれば、
大抵のことは経験して、その後の人生も長くないし、
泰然としているものであることよな……ということである。
中国の偉いひとの言葉とされているが、国内のドラッグ界に
おいて、このひとほど惑い、悔しさを感じ、あるいは次に
向かって頭を切り替えてきたひとも少ないと思う。


ま、現在では、50歳といっても人生の折り返し地点的な
感じでもあり、当時とは状況も寿命も、いろんなことが
変わってしまってはいるのだが、こういう言葉を聞いて
「そうか、オレもそろそろ50歳か、守りに入るのも当然じゃわい」
と納得してしまう人間がいかに多いことか。

和田多博、49歳、和歌山在住、大阪産業大学自動車工学科卒、
卒業後父親が始めた河西モータースにおいて自動車修理業に就く、
以来父親引退後も地元密着型の認証工場として車検、
修理を続け現在に至る。扶養家族あり、飲酒の習慣はなし、
最近はトレーニング後に立ち寄る馴染みの店での
一杯のコーヒーがホッとする瞬間……文字面だけを眺めていると、
ほとんど想像がついてしまうような気さえするほど、特徴がつかめない。


だけど、そういう一般的なデータとは違った
もうひとりの和田多博という人間がいる。


そして、この人間は、なかなかに強烈である。
家業である河西モータース(河西地区にある
モータースだから河西モータースである。
非常に単純明解)で自動車修理をしながら、
23歳からカートを始める。

当時のカテゴリーであるS ストックから、
Sクラスで西日本のチャンピオン3回獲得、
全日本にエントリーするものの、ワークス勢の
厚い壁に阻まれ2位が最高成績。

2ストエンジンがいまでも好きである。

お金をかけずにチューンの腕で勝負できる
エンジンだからというのがその理由だ。

あるとき、カートで激しいデッドヒートを
繰り広げながら、他の選手を弾き飛ばしたことがある。
あとでその選手がヘルメットを脱いで近寄ってきた。

「ワレ……けっこうキツいのー!」

後年のファクターを始めることになる松下選手だった。

カートで自己資金の限界、ワークス態勢で臨むライバルとの
違いを、イヤというほど感じた和田だが、競争するのが
好きという性格は、矯められることも減少することもなかった。

以上の話は、いまから15年近く前の話(というと、
2017年度では35年前ということになる)だ。

当時、雑誌(ま、CARBOYのことですね)上では、
L型を中心としたゼロヨンマシンの話題で盛り上がっていた。
いろんなショップのマシンが、谷田部で行なわれていた
ゼロヨン大会にエントリーし、12秒だ、13秒だと大騒ぎしていた。

そのころ、知り合いに頼まれて作ったL型は、
2スト党の和田の価値観をグラリッと揺すぶるものがあった。

「このクルマ捨てたろか?……当時箱スカに乗ってたんで、
こんなんやったら、ボクが作っちゃる。そう思うた次の日には、
ボディ切ってました。ボクが考えるゼロヨンマシンを
作ってみよやないか。そうやってできたのが
高橋自動車スカイライン。宮楠クンがドライバーでした」

谷田部に登場した和田の手になるハコスカは、
みんなの注目を浴びた。当時としては異様なほど
切った貼ったが施された改造マシンだったのだ。

エンジンはL型だが、マウント位置を大幅に後方に
オフセットし、その結果としてドライバー位置は後部座席付近。
アルミパネルで覆われたパワーユニットの威力もなかなかのものだった。

このマシンは、いまから15年前の時点で11秒台を
マークしてしまった。その当時の記録を振り返ってみても、
抜群のタイムだった。ニトロやレーシングシャシー、
ターボモデルを除けば、このレベルのタイムはトップクラス。


だが……同じL型を搭載したマシンで、和田の予想を超えたマシンがいた。



柿本レーシングZがそれだった。



当時最速の11秒フラット付近のタイムは、格別のタイムだった。



和歌山の和田と、大阪府堺の柿本レーシングとは、すぐ近く。
この後、L型メカチューン、そしてターボへと変貌していく
ゼロヨン界の頂点で、両者は激しいタイム争いを繰り広げていくことになる。

当時、柿本のL型は、CBゼロヨンでも何度も優勝をものにしていた。
だが、和田のアプローチは、他とは違っていた。

エンジンはもちろんだが、サスペンションシステム、
フレーム形状、バランス……そういったものに着目し、
いち早く次世代のドラッグマシンを製作していた。

河西モータースサニーのデビューである。ストックボディを
ベースにしながらも、それまでのサニー改とは違った視点で
作られたボディ&パイプ構造は、全国のドラッガーの注目の的だった。

CBゼロヨンと並行して、RRCドラッグレースへの参戦、
そのなかで全国の強豪と競いながら、河西モータースサニーは、
何度も優勝の二文字を手中にした。もちろん、負けることも数知れず。

「ボクはね、負けたことはあんまり覚えてないんです。
というか、負けたときはそのまま次に向けて作業始めてるから、
その区切りでのことは、後になってみるとほとんど覚えてない。
覚えてるのは勝ったときだけ。勝ったときは、ひとつの区切り
やからよく覚えてる。ええ性格でしょ?」

河西サニーでのチャレンジに限界を感じ始め頃、
和田の頭の中にはフルパイプフレームの青写真が引かれていた。

普段は軽自動車の修理をしているピットが、
いきなりフルパイプフレームの製作工房に変身する。
曲げ、溶接、歪み取り……仕事をストップして、
ドラッグマシン作りが続けられた。

イスズピアッツァのカウルを被った和田スペシャルの
フルパイプフレームが登場したときも、
ギャラリーばかりではなく、他のエントラントはビックリした。
そして、そのリバーウエストJR130が8秒台をマークすると、
そのビックリには、仰天マークが追加される。

和田は、このマシンをベースにして、セッティングを煮詰め、
今後のドラッグレースを戦っていくつもりだった。

自分としては、十分数年間は戦えると思っていた。
事実、他のマシンとは、タイムレベルが違っていた。
新しいフルパイプマシンが登場したとしても、
最初にアドバンテージを持っている自分のほうが
有利だ……そう予想していた。


だが、和田にとって不運なことに、
このころから本格的なドラッグ参戦を考えていた
HKSが、アメリカ製のフルフレームを使用した
HKSゼロドラッグを投入してきたのだ。

短い期間のうちに化けたHKSゼロドラッグは、
和田のマシンのタイムを大幅に更新、その後の
タイムアップも確実だと見られていた。

誤算だった。まだまだ余裕があると思っていた
和田だが、このマシンが登場して、自分の予想の
甘さを痛感する。国内で自作フレームを作るなら、
そしてそこに国産エンジンを搭載するなら……
みんながそういうふうなアプローチを取っていたなら、
和田の予想は大きくは外れなかったに違いない。


 だが、現実は和田の思っていた展開とは違う
動きを見せ始めた。リバーウエストJR130が、
短命に終わったのは、そういう裏事情があった。


 そして、和田自身はゼロドラッグと互角に
戦えるフレーム製作に入った。


前回作ったパイプフレームをベースにしながらも、
アメリカのパイプフレーム様式、そして国産の
ターボエンジンを搭載するという条件を加味しながら、
和田はもう一度自分なりのパイプフレーム作りに
着手した。それが……河西ベンツだ。

「チューニングショップやれへんか?とか、
チューニングショップなんやろ?という話はいっぱい
ありましたよ。サニーやってるときが一番多かったですかね。


一緒にレースやってるひとは、全部チューニングショップ
やってたし、それで飯喰おう思うたら、
それでやれてたかもわかりませんけど、
勝負で商売はようでけん……そういうたら
カッコよすぎるかもしれませんけど、
勝負と商売は別やという感じがします。

ドラッグとは別に、ボートやってる人間が来て、
『全日本狙いたいんです!』ってきいたら『
ヨッシャ、わかった、銭いらんわ!!』って、
ボクが作ったエンジンで、一等賞狙ろうて
くれるんやったら、お金はいらんですよ。
そういう性格やから」


和田多博という人間を、語るには、この枚数では
到底語りきれない。ま、どの人間も、そうなのだとは思うが、
業績が多すぎるのだ。ドラッグというジャンルに関して……。

ただ、そいつは、和田多博というひとが、
「ボクがやりたい!と思うたことだけやってきただけです」
ということなのだと思う。

 現に、アメリカ製シャシーと拮抗するレベルで
作り上げた和田製シャシーは、まだその結果を出せていない。
というか、アメリカ製シャシーは、その不安感を
感じさせないままに、現在のドラッグのトップシーンを形成しつつある。


だけど、CBが好きなのは、こういう人間なのだ。
そして、こういう人間がいてこそ、ドラッグという開かれたレースは
面白いのだと思う。こういう人間がアメリカ製シャシーに
対してトップ争いができる時代がきたら


……本当に、本当に日本って凄いなと実感できる。




■和田多博
和歌山市内で認証工場経営。軽トラから耕運機まで、
地元に密着した修理を日常業務としている……
というのが、表向きの職業である。
ま、裏街道で二足のワラジを履いているわけでは
ないのだが、国内のドラッグ業界での知名度は、
HKSの川崎選手に比較すべきものがある。
ドラッグマシンビルダーとして、常にドラッグ界を
リードしてきた和田さんだが、最近ではアメリカ製
シャシーの台頭に押され気味……全国の
プライベーターの期待を担って、河西ベンツの熟成が進行中。


河西モータース
Tel:0734-55-0807
〒640-8401 和歌山県和歌山市福島693





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河西モータースプライベートドラッガー取材

  柿本POWERを追う河西サニー
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