織戸→フレッシュマンポール→鈴鹿で勝つ!

1992年4月〜1993年7月

レース活動を開始した
織戸選手が、フレッシュマンに参戦
富士を制して……敵視のなか、鈴鹿で勝つように

 

 

1990年のCARBOYドリコンGPで
グランドチャンピオンとなり、
坂東商会に入社して、
レーシングドライバーとしての
一歩を踏み出した織戸選手だが、
そこから1年たった
『FISCOフレッシュマンレース第1戦』で
予選ベストの1分46秒台を叩き出しての
ポールポジションゲット……。

 

長い道のりというには、あまりにも短期間で、
ひとつの結果を出したことに、
CARBOY編集部一同、万歳三唱をいたしました(笑)

しかしながら、新人レーシングドライバーとしての、
ビギナーズラックではなかったことを証明するように、
2位に終わった第1戦のうっぷんを晴らすように、
第2戦では、予選2番手からスタートし、
チェッカーフラッグは1番手で通過
……つまり、『初優勝!』でありました。

 

 

 

 

FISCOでは、ドンドンと勢いにのっていった
織戸選手が、翌年の1993年には、
フレッシュマンからN2にステップアップし、
鈴鹿サーキットに遠征をかけるようになる。

……が、しかし、であります。

鈴鹿に織戸が来る。
ドリコンチャンプのオリドが来る。

そういう話を聞いた、鈴鹿生え抜きの
チーム監督さんたちは、思いっきり
感情的になったようであります。

「タイヤを滑らして、いちびってるようなガキに、
負けたら承知せ〜へんぞ〜っ!」

ま、そりゃそうでしょ。

しかしながら、決勝当日が土砂降りの雨。
すごい水煙のなか、テールトゥノーズ&サイドバイサイドの
デッドヒートを繰り返した結果、
トップでチェッカーを受けた。

いやあ、ウエットコンディションとはいえ、
ここ一番でガッツを見せる織戸選手は、
かっこよかったですぅ〜。

 



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初代ドリコンGPチャンピオンになった織戸選手

  ドリコンからレースへ進み始めた織戸選手
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