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友情開眼のグランドチャピオン戦開幕!!

1991年12月(山梨スポーツランド)


大興奮連続のグランドチャンピオン決定戦
予選を勝ち抜いた曲者が一同に介して、
決着を……つけるっ!

ドリコンGPが始まったのが1989年。
次の歳のグランドチャンピオン決定戦で、
ドリコン最初のグランドチャンピオンに
なったのは、織戸 学選手でありました。

このときの熱狂度合いは、コチラでお伝えしましたが、
それに続く1991年は、スポーツランド山梨、
中山サーキット、筑波ときて、最終戦が再度スポーツランド山梨。
各地のチャンピオンが集結して、最終戦が決着した後、
1991年度のグランドチャンピオン決定戦が行なわれた……。

いやあ、1年という期間は、長いようで短い。
全国各地から、続々とエントリーが申し込まれ、
ひょんなことからスタートした、『ドリコンGP』という
世界でもはじめてのイベントが、乗りに乗ってきたわけであります。

このときの模様は、回想的に書くのではなく、
当時の原稿を再読していただければと思い、
下記に抜粋させていただきます。

付け加えるまでもないのですが……
それまでの『レース』と呼ばれる業態とは
まったく違う熱狂度を持ち始めた『ドリコンGP』
これは、もう、当時のエントラント&ドライバーの
記憶には、強烈なインパクトでもって刻み込まれました。

  ◇       ◇       ◇

 

おっと、このときのタイトル写真は、卍くんの
ド・アップでありました。

キリッとしてますねぇ(笑)
なかなかこういうショットというのは、
サマにはならないものですが……。

 

  ◇       ◇       ◇

沈む夕陽に向かって「バカヤロー!」と叫びながら、
波打ち際を力いっぱい走る.....お笑いである。
あまりにも恥ずかして、浜がチョチョ切れるほどに大笑いである。

試しに、独りぼっちの部屋でこっそりと、
「青春と....友情」とつぶやいてみよう。
きっと激戦後にはキレイなトリ肌を
ボツボツと作ることができるはずだ。
要するに死語なのだ。
誰もそんなことを正面切ってマジメに
言ったりはしないのだ。

しかし.....一度でもトリコンに足を
運んだことがあるキミなら、
このこそばゆいような、
トリ肌が立つような言葉を,
やけにスンナリと受け入れて
しまうことに驚くに違いない。

クルマという乗り物があって、
もともとは移動のための道具だったのに、
そいつを使って「ヘンテコな走り方」をする
人間が登場した。

そして、それをカッコいいと感じるヤツらが...いる。
一般人用語を使用するならば『一理の病気」である。
しかし、病気に楽したもの同士にはミョーな
連帯感が生まれるもの...なのだ。

ガソリンがないと聞くと「ボクのを使いなよ」
エンジンが壊れたと聞くと「オレのーツを使ってもいいぜ」
見も知らない他人が困っていれば、
なんとか助けてあげたい。そう思う。

まして、同じ「病気」を楽しんでいるヤツらが
困っていたら...自分は子選落ちしたとしても、
勝ち抜いたヤツを応援したい

「ガンバレよ!」

ちょっぴり悔しい気はするけれど、本心からそう思う。
これがトリコン魂なのだと、CBスタッフは、
エントラントに教えられました。


「これだけで来たかいがあった!」それくらいに満足した。
今年ドリコンGPたったひとりのチャンプを決める一戦で、
4台のマシンが憤料走行を終えた後、99%のギャラリーはそう思った。

最初の周回が始まったときから、ギャラリーは総立ちだった。
そして、周回を重ねるたびに、興奮度はグイグイと上昇を最けた。
黒ドリ7がアウトいっばいの職人芸ドリで攻めれば、
ジミー小倉がコーナー遥か手前から180SXをヨコにLてくる。
卍クンのAE86は直繰ドリではなく正面切ってのドリフトで勝負をかけてくる。

ついさっきチャンピオンを決めたスモーク安藤は、
振り返しをビシッとキメる。
とにかく、息ができないほどの緊迫感のなか、
4台のマシンは迫力と技を駆使して
ギャラリーを熱狂させてくれた.......
とにかく、たった5分間の情熱走行を続えると、
4台のリヤタイヤはトレッドがブッちぎれてしまったのだ。

ドライバーがあわててタイヤ交換をして
あいだ、ギャラリーは退屈することがなかった。
あまりにもスゴイ走りを見てしまったからだと思う。
しかし、勝負はトーナメントである。

タイヤ交換を終えた卍くんから
グランドチャンピオン戦は開始される。
きょうは直線ドリなしで、迫力で勝負......だが、
コーナーを出てから、痛恨のスピン。

黒ドリ7は、情熱そのままの感動モノの
ドリフトで20点満点!
筑波を制したジミーちゃんは、黒ドリ7のおカブを奪う
2コーナー突っ込みの振り返しで20点!

対するスモーク安藤の180SXも、これまで以上に
激しい突っ込みで.……オット19点。

きょうの審査員は……ホントにキビシイ!
、注目の決勝戦は……得点表を見ていただければ、
そのデッドヒートがわかってもらえるだろう。
両者一歩も譲らない極限のドリフトで、
20点満点の連発。

最終的には、極限を超えようとした黒ドリ7が、
デブ渡辺を超える驚異の手前ドリに挑んで、
ギャラリーコーナーの真ん中で……大スビン!!
プレッシャーがかかるとニコニコするという、
「強心臓」ジミーちゃんは、果敢に攻めて20点満点……
オイオイ、きょうのジミーちゃんの得点はオール20点満点だぜ!
1990年のグランドチャンプ織戸は、千葉船橋港出身
&180SXの筑波チャンプだった。

1991グランドチャンプも千葉船橋港出身&180SXの筑波チャンプ
……やはり、筑波を割するものはドリコンを??

 

 

 
  ◇       ◇       ◇

ここからは、スポーツランド山梨での最終戦の模様です……

 

 

 

 

 

 


『君たちがいて……ボクがいる〜ぅ』

という名台詞を残してくれたクロドリ7ですが、
このときの審査員は、デブ渡辺と謎の中国人織戸……。
下の記事にあるように、このときの賞品は、とんでもなく
大量&高価なもののオンパレード。

いやあ、いま見ても、こりゃ、凄いわ。
雑誌コードには、確実に、ひっかかりますね〜(笑)

 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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