TWINターボが底力を発揮
1、2年の間に驚異的な進化を
見せるTURBOチューンの成果!
先日紹介した激化するPOWERチェックBATTLE!!では、
1984年度に行われた、NA&TURBOのエンジンパワーが、
ドンドンとアップし、ついには、BOSCHのシャシーダイナモの
計測限界を超えた領域へ踏み入れだした……ということを記した。
そして、国内初の計測不能TURBOエンジンを製作したのが、
チューニングの第二世代ともいうべき、オートセレクトであり、
当時掲載したことのある『TUNING第2世代の台頭』という記事に
登場してもらった、ピレリー富山の根塚さん、ブラストの脇田さんなどが、
こぞってCARBOY0→400mを、次の標的に定めた頃でもある。
谷田部の自動車試験場を離れて、富士スピードウェイ(FISCO)に
場所を移して、新たなスタートを切ったCARBOY0→400mは、
しょっぱなから、こういう時代の移り変わりを象徴するような
イベントとなった。
当然のことながら、当時のターボは、BOLTONターボである。
13BやL型をベースにしたターボ仕様エンジンは、
シングル、あるいはツインターボの形式をとりながら、
数え切れないほどのエンジンブローを繰り返しながら、
それまでのメカチューンのパワー領域を乗り越え、
そして、その後は一気呵成に独自のPOWER展開を始めていった。
この最初のFISCOに於けるCARBOY0→400mを制したのは、
450馬力以上という測定不能領域の記録を出した
大阪のオートセレクトの30Zだった。
BESTタイムは11秒084。
以前開催された谷田部のCARBOY0→1000mでは、
400mタイムのベストは、ビルドサニーの10秒688。
サンユーRX-7、SAKOレーシングRX-7が10秒台。
RファクトリーZと柿本レーシングZは11秒フラット……。
いやぁ、ふと気がつくと、このなかでメカチューンは、柿本レーシングZだけ、
そのあとにファクターZが11秒3台で続くが、この頃までが、ターボと
メカチューンが拮抗状態から、ターボの躍進状態に移行していく過渡期だった。
それから数カ月後に行われたのが、今回紹介するFISCOでの
CARBOY0→400mだが、今回のタイムは、トーナメントを勝ち上がって
きた結果としての11秒084だった。
この年のCARBOY0→400mの予定は、
FISCOでの年4回開催で、それぞれの上位8台マシンが、
最終決戦を行なうという目論見だった。
でも、よ〜く考えてみれば、年4回の開催で、上位8台マシンが
最終戦で32台のラダーを組む……そりゃ、無理でしょ(笑)
3戦を行なって、その上位8台が24台。最終戦で……どうするんだ?
ま、細かいことは、言いっこなしにしましょう。
単純に、藤本の思い込みや突っ走りグセが、
こういうことを書かせたのでありましょう。
とまれ、FISCOでのCARBOY0→400mの熱戦の火蓋は切られたっ!
これから、どのような展開を見せていくのか?
乞うご期待!
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下記に、当時の0→400mタイムのランキング一覧が
掲載されているが、これは谷田部でのCARBOY0→1000mをも
含んだランキングであります。
すでに10秒台に突入していた時代ではありますが、場所が変わり、
トーナメント方式を採用したことによって、数回勝ち抜かなければ
ならないというプレッシャーも増加した。
その分面白みが増大して、
ここから一気呵成にゼロヨン全盛時代を迎えることになる。
下の段に掲載したのは、RRCでのSS1/4マイルのタイムである。
ま、ほとんど400mなんですが、ここでは11秒前半のタイムで、
レースが進行していたことがわかりますね〜。
ターボパワーは、この後、一気に増大して、タイムアップも
急加速状態で行われることとなります。
10秒台から9秒台へ、そして8秒という未知の領域へ……。
全国のゼロヨンフリークが、目標とし、挑戦を始めた時代でもありました。
当時、というか、その後も、現代に至るまで、
潜在的なものも含めた、レースカテゴリー別の競技人口としては、
ゼロヨンというジャンルはぶっちぎりだった。
数百人や数千人といった数ではなかったんですから(笑)
ま、そのほとんどは、ストリートゼロヨンでありましたが、
いつかはFISCOに、いつかはトーナメントを戦いたいと、
そういう何万人かの願望が、この時代のゼロヨン熱を支え続けました。
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