0→1000mBATTLE

 


ついに、0→1000m最終決戦!!

1985年1月号(谷田部自動車試験場)

ショップ対抗CARBOY0→1000m
いよいよ最終コーナーにさしかかりました
これまで開催されてきた0→1000mを
勝ち抜いたマシン、悔し涙を飲んだドライバーが
ここで、完全激突……いたします!!

1000mという距離を、フルチューンエンジンが、全開で走る。
ファニーレーシングの13Bペリサウンドが谷田部の木々に
こだました第1回CARBOY0→1000mから2年の歳月を経て、
1984年後半期に開始された第2期のショップ対抗CARBOY0→1000m。

しょっぱなの第1戦は、わずか0.007秒差で、ビルドファクトリーS130Zを
押さえた柿本レーシングZが勝利し、続く第2戦は、引き続き
柿本レーシングZが20秒台という好タイムで連覇。

グングンと盛り上がってきたタイム競争は、第3戦を迎えて、
思わぬダークホースが出現。

2.0kg/cm2のブーストをかけたSAKOレーシングRX-7が、
脅威の19秒台をマークして、勝利を集中にした。
勢い込んだ第4戦だが、あいにくのウエット路面。
そんな悪条件下でもがく0→1000mマシン達だったが、
ここにきて、そんな4戦のすべてをかけて、一気に大決戦を開催。

……と、ここまで書いてきて、ふと思ったんですが、

第1戦〜第4戦までの戦いがあったんですが、その勝者であることや、
獲得した順位だとか、そういったものを加味しながら、最終戦の
エントラントを決定したわけですが、今回のエントリーは20台ほど。
このコースで20台のマシンの計測を行うというのは、
けっこう大変なものです。バンクに飛び込んでいったマシンが、
バンク途中、あるいは裏の直線部分で停止していたりすると、
危険が危ないわけです。だから、裏にスタッフを常駐させておいて、
マシンが通過していったことを確認してからでないと、
次のマシンをスタートさせることはできませんから。

ま、それはそれとして、最終決戦は、いつもの谷田部自動車試験場の
高速周回路(オーバルコース)で開催された。

ただしこれまでと異なっていたのは、12月の夕刻に実施されたということ。

ンッ? どゆこと??

以前にも言ったと思うのだが、CARBOYが谷田部自動車試験場を借りるのは、
夜明け前……です。たしか、午前5時からだったかな?
で、その暗闇のなかで、計器のセッティングをして、そこから午前6時くらいに
スタート!していたと思います。

で、9月や10月なら、いいんです。
午前6時となると、うっすらとお日様の光がさしてきて、
1時間もすれば、スッカリ明るくなってくれますから。

しかしながら、12月の夕刻、午後6時スタート開始となると……。
もうほとんどお日様は沈んで、あとは、暗くなっていくばかり。

というわけで、参加SHOPには、
「夕方からのスタートですから、何らかの灯火装置をご用意ください」
というお知らせをしておいた。

記事なかの写真を見ていただければ、その成果が見てとれるはずだ。

ヘッドライトを装備しているマシンは、問題がない。
谷田部自動車試験場にも、ライトが設置されている。
しかしながら、ライトが設置されているのは直線部中央にある
小屋の周辺のみ。つまり、マシンが走行する直線部分と、
そこから飛び込んでいくバンクまでは、ほとんど照明がないのだ。

スタート地点から、ゴール地点(バンクの200mほど手前だったか)を
見てみると……なにも、見えない。真っ暗なのだ。

たぶん、ゴール地点を過ぎたあたりから、バンク入り口に設置された、
照明を見ることができるだろうが、そこまでは、ひたすら真っすぐに、
暗黒の闇を切り裂いて、マシンを走らせるしかないのだ。
おまけに、一般の道路とは異なって、高速周回路の直線部分には、
走行ラインが記されていない。コース幅の左右端には白線が引かれているのだが、
30mほどある道幅には、ラインは存在しない。

と、ここで、皆さんに想像していただくとしましょう。

フルチューンのエンジンを搭載したマシンで、
真っ暗闇のなかを全開ダッシュしながら、1000mを疾走する。
右側に木立があるものの、目印となるものは、遥か彼方に灯る
街灯の明かりのみ……けっこう怖いもんがありますね〜。

そんな状況のなか、CARBOY0→1000m最終決戦が行われました。

先日、柿本レーシングの柿本さんにお会いしたときに、
こんな話を聞きました。

「CARBOY0→1000mのときの、ドライブは強烈やったな。
真っ暗ななかで、全開で走って、そのままバンクに突っ込んでいったけど、
ほとんどナニも見えない状況で、あんな風に走れたというのは、
自分のなかでも、ベストドライビングやったと思う……」

そのときの状況を理解しているヒトにしか、わからない話であります。

というのも、他のマシン&ドライバーの皆さんは、なんらかの灯火装置を
用意していたんですが、柿本さんだけは「えっ? 知らんかった」と、
無灯火での走行となったのだ。

しかしながら、いくらなんでもそれは危険度が高すぎる……と、
考えに考えた藤本は、ゴール地点に、投光機を設置しました。
スタート地点から、遥か彼方のゴール地点を望み見れば、
本当にかすかな、光の『点』でした。

しかしながら、ないよりは100倍マシでしょう。

柿本さんは、その『点』光源だけをたよりに、
当時メカチューン最速と目されていたマシンを駆って、
2位のタイム(20秒580)を叩き出しました。
優勝タイムは、ツインターボを搭載した
Rファクトリーの20秒395。
相原さんの駆るドラッグ仕様のS30Zには、
室内に大きめの投光機が設置されていました。
ま、でも、投光器があったとしても、
ゼロヨン11秒フラットで走るマシンの
コクピットからは、ほとんど何も見えないような
気がしますが……。

ヘッドライトを装備していたSAKOレーシングRX-7は、
自己記録19秒台に届かず3位。
サンユーエンデューロ13Bペリ、そして、ファクターの3LZ。
柿本レーシング同様、L型メカチューンの240ZG……
このマシンは、何度CARBOY0→400mで見たことだろう?
優勝こそ逃すものの、常に上位にいる凄み。

ファクターの松下さんは、河西モータースの和田さんと
カートで激しく競り合っていたライバル同士。
そのふたりの戦いが、今後のCARBOY0→400mでも
繰り広げられることになるわけだが、
大阪築港の戦いが、谷田部自動車試験場でも行われている。
そんな考えを持ってしまうのは、藤本だけだっただろう(笑)

 

 

 

とまあ、このように、怒涛のようなCARBOY0→1000m
ラッシュは、最終決戦を終了した。

そして、舞台をFISCOに移し、1985年からは
CARBOY0→400mが開始されることとなる。

下の記事は、CARBOY0→400mのお知らせであります。
これまで、谷田部自動車試験場の総合試験路で行われていたのは、
「CARBOY良い子ゼロヨン」&「ゼロヨン日本一決定戦」
そして、上記の「CARBOY0→1000m」でありました。

これから富士のストレートで400m勝負が開始され、
そして、数年後に、形を変えてCARBOY0→1000mが
再度復活を果たすことになりますが、そのときの模様は、
また……いつか(笑)

 

 

 

 





↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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