643km / h対談 RSヤマモトvs Kansaiサービス

1988年7月号

時代を先取りしていた先進的な
チューニングマシンの在り方
こいつを当時注目のチューナーに
6時間かけて対談してもらった!

先日、関西へ長期出張に出かけたのだが、そのときに、
Kansaiサービスの向井さんのところにお邪魔した。

そのときの取材記事は、
別稿で紹介する予定ですが、その前に、1988年に掲載した対談を、
読んでいただきたいと思って、今回はその紹介です。

1988年といえば、いまから30年前のことになります。

いまでは故人となったRSヤマモトの山本さんと、こないだお会いした、
Kansaiサービスの向井さんが、東京の八重洲出版近くの料理屋さんで対談した。

(現在、向井さんの会社名は、Kansaiサービスでありますが、
ここでは、当時の社名であるHKS関西で表記させていただきます)


キッカケは、向井さんのさりげないひと言だった。

「最近、山本さんとしょっちゅう電話で話してんねん」

ピンッ!ときて、早速対談企画を実行した。

八重洲出版に集合してもらって、なんだかんだと話して、
そこから場所を移して、ああでもない、こうでもないと話して……。
都合6時間ほども、しゃべりっぱなしだったが、誌面になったのは
たったの4ページだった。ま、このときの記事は、いまのように
レコーダーを使って、それを文章に起こして……というものではなく、
ただただくっちゃべっているのを、チョチョッとメモって、
あとから、記憶を頼りに、藤本が適当に書き起こしたものです。



でも、30年後に、もう一度読み返してみたら、
非常におもしろいことが、いっぱいありました。


なによりも、この会話、対談が、30年前に行われていたということが、
どうしても信じられないんですね、これが(笑)



先日、Kansaiサービスで、向井さんと喋ったこと、その調子、様子は、
30年前の対談と、ほとんど変わりがないように思えるんです。

内容に関しても、非常にオーソドックスであり、常識論的なのだが、
あの時代、あの頃に、チューニングという業界のなかで、
こういう思考をしていたということに、注目したいと思うのだ。

どちらも、谷田部の高速周回路での最高速チャレンジを重ねながら、
軸足としてもっているのは、ストリートでのクルマの楽しさを、
損なわないチューニングだった。

過激でも、エキセントリックでもないけれど、
オーナーが所有するとしたら、非常にジェントルで、飽きが来ない仕様。


そういうものを、日常的な仕事のなかで追求していたふたり。
いま、読んでも、まったく違和感がないというのは、そういう立脚点にある。




というところで、スマホで見ているかたは、下の記事を
拡大していただければ、記事の全文を読んでいただけますし、
PCで見ている方は、下の記事画像を右クリックして
「イメージを新規タブで開く」としていただければ、
拡大された画像を見ていただくことができると思います。
よろしくお願いします。


  ◇         ◇         ◇

山本 CBは、プライベート寄りに一生懸命やってて、
  ショップの邪魔してるとか、よく聞くんだけど、
  オレはそうは思わないね。ノウハウっていうのは、
  確立した時点でオープンにしていくもんだと思うから。
向井 そう、そうだよね。マル秘とか、そういうのは
  ナンセンスだよね。データをオープンにするってことは、
  いろんなところがそれを使って、すぐに同じレベルにくる
  わけだけど、いつも新しいことを考えているところは、
  バンバン、オープンにしてくる。次のことができているから、
  データを公表したって、なんてことない。
  ◇         ◇         ◇
CB 関西と関東っていう意識ありますか?
向井 山本さんは、関東でショップやってるけど、関西の味があるね。
山本 向井クンのところは逆。関東風ね。考え方とか……。
  ◇         ◇         ◇
CB ふたりでいつも電話してるんですってね。
向井 そう。チューニングのこととか、いろんなこと。
  もう話がぜんぜん尽きない。でも、
  こうして向かい合って話していると、電話とは
  違うから、なんか変な感じだね。
山本 おかしいんじゃないかな、男がふたりで、
  ポートがどうとか、タービンがどうとか、そんなことばっか話してる(笑)
  ◇         ◇         ◇

 


↑という記事をアップしたのですが、
CARBOYのスキャニングをしていたら、
実車で乗り比べというか、山本さんと向井さんの
谷田部チェックの記事を発見しましたので、

そいつを追加します。

これは、1990年7月号のもので、
当時のことがよくわかると思いました。
残念ながら、向井さんのところのクルマは、
来る途中でミッションのマイナートラブルが発生して、
比較試乗はできなかったのですが……ということは、
奈良から谷田部まで自走してきたということでもあります。

山本さんもそうだったが、両者ともに、ストリートチューンということを
しっかりと考えていたからだと思う。

当時の両ファクトリーのメカニックであった
若目田さんと杉田さんのコメントもしっかりと収録されております(笑)

 

 

 

 

 

 

 




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↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。

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