ドリコンの異端児 直ドリ元祖 卍

渡辺 武(千葉)

『な、なんなんだ、こ、コイツは!』というのが、
みんなの正直な気持ちだった。それまで見たこともない
走り方をしてみたボクに向けられるみんなの視線は、
けっこう冷たかったけど……けっこう注目してました。

 

 レポート用紙7枚に、ビッシリと書き込んだエントリー申し込みが送られてきた。
卍クンが直ドリと命名したドリフトテクニックの詳細が、
そのレポート用紙には、細かい文字で書き込まれていた。
そして、採用されて、'91年の山梨スポーツランドのドリコン出場。
このときのデビューは衝撃的だった。満員のギャラリーの前で、
いきなり直ドリが始まったのだ。

ギャラリーは、一体ナニが起こったのか、すぐには理解できなかった。
だけど、それが意図的に行なわれていることで、これが直ドリというものだ
ということがわかったときは、熱狂的な声援がまきおこった。


 直ドリという衝撃的なテクニックを引っ提げてデビューした卍クンだが、
彼と最初に会ったひとは、その腰の低さにビックリする。言葉遣いも丁寧で、
けっこうシャイ。ちょっとうつむき加減に、控え目な話ぶり。

だけど、ジックリと話し込んでいくと、ただ腰が低いとか、丁寧だとか、
そういう第一印象とはちょっとばかり違っていることに気がつかされる。
ちょっと……『ヘン』なのだ。言葉を変えれば『独特』。
とてもじゃないけど、激しいドリフトをしそうには見えないけれど、
走らせればブッツンブッツン切れてしまうという激しさを
ウチに秘めているというわけだ。だから、直ドリについて語る卍クンは、
けっこう熱い。執ように、親切に、ご丁寧に教えてくれる?? 

 


『な、なんなんだ、こ、コイツは!』というのが、みんなの正直な気持ちだったと思います。それまで見たこともない走り方をしてみたボクに向けられるみんなの視線は、けっこう冷たかったような気がします。ハイ。でも、けっこう注目してました。
『危ないじゃないか、な、なんて走り方するんだ!』そういう気持ちもあったでしょう。
なにしろ、一見すると、ドリフトが失敗して、オツリをもらって慌てているという状況と非常に似ていますから……フフッ、みんなそんなふうに思うんです。


 ほとんどのドリフトは、コーナーに入ってきてから始まります。そのころは、まだサイドドリがなかった頃だったから、コーナーに進入してきて、シフトロックやブレーキングで、ドリフトのキッカケをつかんで、コーナーのGとクルマの挙動をコントロールして、ドリフトというものが成立していたと思います。


 だけど、ボクは、ずっと自分で考えてたんです。ひょっとして、ドリフトっていうの、はコーナーがあるからドリフトできるとか、そういうものとは違うんじゃないか? コーナーがなくても、クルマはドリフト状態に入るんではないか?ということだった。
 大抵の場合、新しいことというのは、ひょんなキッカケから始まる。パッとひらめいたことを、ジックリと考え直して、自分のそれまでのノウハウと知識で肉付けしていくことによって、それまでとはまったく概念の異なった走り方が誕生するような気がします。


 ま、こんなカッコイイこと言っちゃいましたけど、ボクの発明した直ドリ(へんなネーミングですけど、これが一番分かりやすいと思ったので、それに、けっこう定着してしまいました)の具体的な方法を解説してみましょう。
 まず、一番最初に、直線でリヤタイヤをスライドさせることが必要です。


 これは、キッカケとしてはなんでもOK。慣性でもフェイントでも、サイドブレーキでもなんでもいいんです。とにかく、まずリヤをスライドさせることから始まります。
 で、スピードがのっているときや、リヤのスライドに勢いがあるときは、そのままやってるとスピンしますから、アクセルをオフにして、クルマのケツが戻ってくるのを待ちます。反対に、スピードがのっていないとき、あるいはリヤのスライドに勢いがないときは、アクセルオンの状態で、わざとカウンターステアを大きく当て、無理やりクルマのケツが戻ってくるようにします。俗に言うオツリ状態ですね、はい。


 そして、ケツが戻ってくるとき(つまり、クルマが右から左、あるいは左から右に振り返してくる間)に、アクセルを大きく踏み込みます。ええ、そうです。
 そして、ステアリングは、カウンターを当てているときのように、手の平で回す。
 キックバック(ステアリングが自然に戻ろうとする力)の強いクルマは、軽く手を放すようにして、キックバックを利用して、ステアリングを滑らせながらカウンターを当てていきます。
 これが直ドリです。

 

 えっ? これじゃ全然わからないって? そうかな〜。実際にやってみると、すぐにわかるんですけど。これだけじゃわかりませんか? ウーン、どうしよ。
 そうだ隣に乗ってみます? そしたら、すぐに体で覚えます。
 最初は、ウエット路面で練習することが大事です。
 パチンコやさんの駐車場とか、大きいスーパーの駐車場とかを利用して、練習がてら、実際にやってみれば、けっこうすぐにわかるんです。
 だけど、直ドリというのは、そこからが難しいんです。
 だれでもすぐにクルマを振り返したりはできるようになると思いますけど、その状態を続けていくこととか、スピードをコントロールして、コーナーの進入姿勢を決めたりとか、そのあたりがけっこうノウハウがあるんです。


 もちろん、実際にやっていくことで、そのあたりのカンみたいなものは体が覚えていくんですけど、ここ一発というところで決めようと思うと、けっこう難しいですね。
 振り返しを繰り返していくわけですけど、そのうちにスピードがドンドン乗ってきます。そうすると、けっこう危険です。
 そんなときは、サイドブレーキを使って振り返すんです。どういうことかと言うと、戻ってきたときのケツが、クルマの向きにして、正面を向くような位置に来た瞬間にサイドブレーキを引いて、反対側へリヤをスライドさせるという方法です。
 サイドブレーキの効きが甘いクルマの場合は、サイドブレーキと一緒にフットブレーキを踏むことをオススメします。
 つまり、アクセルONで振り返すにしても、サイドブレーキを使って振り返すにしても、振り返す瞬間には、なんらかのトラクションがリヤにかかっているわけですから、ここが一番重要な点なんです。
 よく、勘違いしているひとがいるんですけど、一度、どちらかに振ったケツが返ってくるときに、アクセルを踏まず、サイドブレーキを使うこともなく、ステアリングの動きだけで振り返しができたと思っているひとがいます。
 だけど、それは間違い。ステアリングが超忙しくなって、一見すると、リヤは振り返しているものの、自分でコントロールしているんではなくて、なんとかかんとかパニック状態を押さえ込んでいるというだけのことですね。
 こういう直ドリ(これは直ドリではないのですが)は、ドリフト状態が美しくない上に、クルマが不安定で、メチャクチャスピンしやすい状態。おまけに、これはシャシーにも悪影響を与えるので、ボクとしてはオススメできない方法です。
 

ちょっと違うかもしれませんが、バイクがスラロームをクリアするときのアクセルのON/OFFのように、リズムよくクルマを振り返せるようになればOKでしょう。

 卍くんが、卍クンと呼ばれるようになったのは、少林寺拳法を習いにいくようになってから。命名者は中井クンである。峠でスピンして卍クンのマシンにぶつかってきた相手が、ああだこうだとゴネて、最後には腕力で話をつけよう……となってきたので、口惜しくて、口惜しくてしようがなくなった卍クンは、急きょ少林寺拳法の道場に入門。泥棒を見て縄をなうという諺を、実地でいく卍クンである。でも、本人は真剣だし、それが彼のやり方なのだ。ま、それいらい、卍クンと呼ばれだしたのだが、一体全体直ドリというのはどういうところから考えついたのか、そのあたりを探ってみよう。 

 最初はね、三木クンの隣に乗せてもらっているときに、ヘンだったんですよ。
 筑波山の朝日峠でしたね。コーナーを立ち上がっていくときに、右に、左にと、ケツを振って立ち上がっていったんです。『三木クン、いまのって、わざと?』そう聞くと、
『ウン』って言うんで、そのとき思ったんです。こういうのって、意図的にできるんだな。なんかヘンだな? 普通なら、オツリ貰ってパニック状態みたいなのに、それを意図的にできるって……そのときは、フッとそう思っただけだったんですけど、そのうちにそのときのことを思い出して、ちょっと自分の走りに取り入れてみようかなって。
 ボク、ラリーが好きだったんで、その走り方を真似していて、いつもコーナー進入はいつもフェイントで振って入っていたんです。
 その頃行ってたのは中央埠頭。
 サイドブレーキを使って、逆振りして、そしてコーナーに入っていくドリフトをしてて、そのうちに、振るのが1回だったのを、2回にしてみて、そして3回になって。
 これがボクの定番の走り。コーナー進入前に3回振って、それからコーナーに入っていく。で、三木クンの走りのこと考えていて、『もっと前からやってみたらどうだろ?』
 そして、いきなり最初に言ったように、みんなの前で直ドリしてみたら……。
 驚いていましたね〜。な、なんだって。でもなんだかよくわからないんで、遠巻きにしてこっち見てて……なんだかいい気持ちでした。
 それまで、中央埠頭で走っていても、それほど注目されたことってなかったし、その頃は織戸クンとか、碓井クンとかがきて、みんなそっちのほう注目してたから、ボクなんかあんまり見られるってことなかったんですよ。

 


 だけど、そのときから、直ドリの元祖ってことで、みんなが注目してくれて、何人かは直ドリにチャレンジするようにになってきたんですね。でも、けっこうスピンしてましたね。一見簡単そうだけど、スピードがのると難しいんです。
 でも、このうちにドリコンとか出たいなと思って。ボク以外の人間が、ボク以上に激しい直ドリを出されたら……ボク、旬のものって好きなんです。競馬がもうひとつの趣味なんですけど、通常の法則みたいなものより、そのとき、その期間の旬の情報とか、分析の仕方とか、そういうのすごく好きなんです。
 だから、直ドリも旬のうちにドリコンに出したいなって、そう思ってました。

 レポート用紙7枚に、ビッシリと書き込んだエントリー申し込みを送った。卍クンが直ドリと命名したドリフトテクニックの詳細が、そのレポート用紙には、細かい文字で書き込まれていた。そして、採用されて、'91年の山梨スポーツランドのドリコン出場。このときのデビューは衝撃的だった。満員のギャラリーの前で、いきなり直ドリが始まったのだ。ギャラリーは、一体ナニが起こったのか、すぐには理解できなかった。だけど、それが意図的に行なわれていることで、これが直ドリというものだということがわかったときは、熱狂的な声援がまきおこった。 

 嬉しかったですね。最高の気分でしたよ。ホントに。これまでのボクの人生のなかで、最高でした。生まれてきてよかった。そう思いました。
 これまでドリフトを練習してきて、ずっと積み重ねてきたことが、あんなにいっぱいの人間に認められたっていうか。それが嬉しかったですね。
 最初に、直ドリを出したとき、みんなが『エッ?』っていう感じなのがよくわかったんです。中央埠頭のときと一緒で、最初はみんなそう思うんです。でも、それがだんだん変わってくるんです。そのときが快感っていうか。そうですね。気持ちいいんです。
 あのときは村尾クンと同点決勝になって、それで村尾クンがスピン、ボクは10回の直ドリを決めてクラス優勝。で、そこから決勝トーナメントで、デブ渡辺クンと当たったんだけど、彼がハーフスピン。結果的にボクが優勝ってことになったんですけど、なんだか申し訳ないような、でもやっぱり嬉しくて。ついつい、少林寺拳法の型を披露したりして。
 それで、卍っていうのが、定着して、いろんなところに行く度に、アレやってくれとか言われるようになりましたよ。けっこう恥ずかしいんですけど、期待されてるなっと思うと、ついついやっちゃうんですよ。バカですね。
 あのとき話したんですけど、デブ渡辺クンが『オレは、練習量だけは誰にも負けない』って、そう言ってましたけど、ボクも負けないですよ。必死でやりましたから。
 その頃はずっと中央埠頭でしたけど、夜の9時から行って、そのまま12時間。朝の9時までずっとやってました。練習量なら、負けないです。
 雨が好きなもんだから、雨が降ると、絶対に練習に行くんです。
 母親が、夜の9時に出ていこうとするというんです。
『雨の日は滑るから気をつけるんだよ!』ええ、ホントです。ホントにそう言うんです。
 滑らせるのが面白くて、滑らせる練習しているのに、『雨の日は滑るから気をつけるんだよ!』って……笑っちゃいますよ。いや、笑っちゃいけないか。
 自分でも思うんですけど、感覚とか、そういうことで覚えていくタイプじゃないんです。頭で考えて、それを何度も練習して、自分のものにするというのが、どうもタイプみたいです。だから、けっこう時間かかるんですよ。ちょっとニブいんでしょうね。
 後になって、卍クラブっていうのができて、そこの嶋田クンっていうのが、『卍さん、ボクなんか半年で直ドリ完璧にマスターしましたよ』とか言うんですけど、ボクはちょっと、ええ、ちょっと違いますね。

 最初にドリフトと遭遇したのは、卍クンが19歳の頃。そのころバシ港と呼ばれていた、船橋のララポートの奥に、友達に連れていかれたときのこと。それまでバイク一筋で、クルマは人間を運ぶものと思っていた卍クンにとって、L字クランクでドリフトするクルマは、異様に写った。クルマでもこんなことができるんだ。メチャメチャ楽しそうだ。そう思って、ドリフト一直線(?)になった卍クンは、早速クルマを購入した。 

 全然知らなかったから、TE71レビン買ったんです。で、足まわり固めて、マフラーとステアリングを交換すれば、ドリフトできるのかな?って、そんな程度でした。
 でも、そのときはコーナーに入って、立ち上がりでケツを滑らせて喜んでいるような状態で、これじゃダメだって、友達にもいろいろ教えてもらって、AE86に買い換えたんです。それが、ラリー仕様。エンジンはノーマルだったんですけど、6点式のロールバーにフレーム補強。これで、最初はタイムアタックの真似事みたいなのもしてたんです。近くの農道っていうか、そういうところで。で、一時はそこで一番時計とか出したんですけど、結局事故で、ええ、空中回転です。全損。
 だけど、そのクルマはLSDも入ってたんで、それでサイドターンとか、基本的なことけっこう練習しました。それで、クルマが欲しくてしようがないので、今度はボディガタガタの2ドアトレノGT買いました。
 缶スプレーで銀色に全塗装して、中古で買ったLSDを自分で組み込んで、その頃からですよ。本格的にドリフトの練習を始めたのは。
 いろんな所に行きましたよ。鉄鋼団地とかも行って、シフトロックの練習ばかりしてました。あるとき、鉄鋼団地に行ったら、ワンボックスの上に照明がついてて、TVカメラが回ってるんです。『こりゃ、写るっきゃない!』と思って、頑張ってドリフトしてたんです。で、あとでテレビで見たら、追跡シリーズってやつで、交通事故の原因を探るとかで『どうして死に急ぐ、若者!』とか……ガビーンですよ。ドアップでしたから。
 バカですよね。けっこうお調子者なんです。
 シフトロックがマスターできるようになったら、また別のところに遠征というか、走りに行くんです。そこで、三木クンとか、中井クンなんかと会いました。
 ボクの直ドリの、直接のヒントになった三木クンの走りに会ったのも、そんなときでしたね。筑波山の朝日峠。けっこう行きましたよ。
 ボク、三木クンの走りはスゴイと思うんです。だけど、どうしてだか、ドリコンじゃいまいちパッとしなくて。ボクがこれまで見たなかで、ドリフトが一番うまいというか、感覚的に鋭いなっと思うのは中井クン、そして三木クンなんです。
 とにかく彼らの走りは凄いですよ。ライン取り、荷重移動、FRでも荷重移動でタックインとか平気で使いますし、けっこう高い次元の走りしますね。
 織戸クンなんかも、昔から知ってるんですけど、上手いですね。練習してるときは、意外に堅実な走りするんですけど、大会とか、ここ一発とかいうときは、ブワーッ!!っと、人間が変わったように激しい走りしますよね。

 一見すると、特異な存在であるような卍クンだが、そのベースにあるのは、ドリフトが好きで、無類の練習魔で、コツコツと、ドリフトし続けてきている。プライベートでチューンしたり、走りの研究をしたりと、通常のドリフト野郎とはちょっと違ったスタンスで、ドリフトに取り組んでいる。昔から勉強してきた針灸師&マッサージをしながら、家庭教師、塾の講師と、いろんな仕事を組み合わせながら、自分なりのドリフト人生を構築しようとしている。堅実そうなのだが、変わっていると言われる。いつも持ち歩いているカバンには、これまで彼が収集してきた競馬に関する情報&データが入っている。命から二番目に大事だというデータを、後生大事に抱え込んで、AE86でドリフト研究にも余念がない。ウーン、やっぱりヘンなやつだと思う。 

 ヘンじゃないですよ。当たり前のことを、普通にやってるだけです。たまたまボクの直ドリが、ナイスのタイミングで登場したから、チャンピオンになれたり、卍クン、卍クンって呼ばれるようになりましたけど、いまのドリフとやっているひとはけっこう辛いと思いますよ。できて当たり前。どれだけ正確にやれるか?とか、どれだけスピードを高められるか?とか、そういうところに来てますから。ここで、目立っていくということはけっこう大変でしょう。ボクなんかは、いい時期に登場して、いいところを貰ったって、ええ、そう思ってますよ。直ドリだって、いろんなひとが取り入れてくれて、嬉しいんです。
 ドリフトをやってるひとも、レースだけじゃなくて、ダートトライアルとか、その分野にいけば、いまのテクニックや感覚なんかも、もっとダイレクトに活かせると思います。ボクも、できればそういう方面もやってみたいんです。ま、それにしても資金とか、いろんなもんが必要になってきますから、それを貯めてということが前提になりますが。
 レースだと、グリップのほうが速いからとか、いろいろ制約ありますね。だったら、ダートラとかラリーとか、もともとボクはそっちに興味があったんで、そう思うんですけど、ガンガン滑らせて、レースするっていうのは、面白いと思います。
 それから、これは、ボクの夢なんですけど、ま、実現不可能だとは思ってるんですけど、仕事で成功して、お金を貯めて、ドリフト専用のサーキットを作りたいなって、ええ、けっこう真剣にそう思ってるんです。
 もちろん、夢ですよ。莫大なお金が必要だっていうことはわかってますし、ひとりの力じゃとってもそんなことはできないだろうって。でも、そんなこと考えてるんです。
 ヘンですか? ヘンですよね。だけど、いま関東って、走れるところ少なくなってきてるでしょう。だから、関東で、千葉とか、そのあたりに、ドリフトできる専用のサーキットがあれば、ドリフトがもっともっと盛んになるかな?って。
 あと、直ドリを始めたボクとしては、これから直ドリを練習しようかな?と思ってるひとに、言っておきたいんです。けっこう危険なんですよね。
 最初は、だれでもできそうな気がするし、ちょっと練習を積んでいくと、けっこうできるって思うと思うんです。だけど、クルマのリヤを、ガーンッと振って、その振り返しで反対に振って、それってけっこうパニック状態に近いんです。
 だから、一般道で練習していて、幼稚園児の集団に突っ込んだりとか、そういうことあると、ちょっと悲しいな。そう思うんです。
 だから、練習するときは、絶対に広いところ。とにかく事故がないように、そう考えてくれると嬉しいと思います。けっこう多いんですよ。パニックになって、それでも振り返していると、自分ではコントロールできない状態に入ってしまうひと。
 これまでいろんなところで直ドリ見てきて、危ない場面も見てきましたから。
 それだけは、これから直ドリやりたいっていうひとにお願いしたいですね。
 ドリフトって、すごく面白いし、いつまでもやっていたいと思います。
 ボク自身も、これからもドリフトをズッと続けていくと思うから、続けていける状況というか、そういうものを考えたいです。なんか、説教臭くなっちゃいますけど、ホントにそう思ってるんです。サイドターン、シフトロック、普通のドリフト、そんなものをキチンと自分のものにして、そこから直ドリに入って欲しいですね。直ドリだけじゃドリフトとは言えないし、過激で、迫力のあるドリフトの基礎を作ってから、直ドリをアクセントというか、プラスαにしてもらえたら……嬉しいです。

 


PROFILE■当時、針灸師。プライベートでAE86をチューンしながら、夜な夜なドリフト走行に通っていたが、自分なりの理論を元にして「直ドリ」を考案する。それまでの常識だったコーナーでのドリフトに加えて、直線でのドリフトという、とんでもない技で、ドリコンチャンピオンになる。ステアリングとアクセルワークでどこまでも続く直ドリ状態は、異端視されながらも、その後のドリフト野郎の技に組み込まれ、いまではオーソドックスな併せ技として普及している。元祖直ドリ。ニックネームは卍。詳細は本文参照。


 



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