いまでは広く知られるようになった
アメリカのパイクスピークを舞台に
繰り広げられるヒルクライム
日本で初めてのチャレンジャーを紹介!!
国政理論の原点がここにも、ある。
1988年初チャレンジ パイクスピーク ヒルクライム
CARBOYで、いろいろとお世話になった国政さんは、非常に温厚そうな紳士である。言葉遣いも丁寧だし、わからない人にも優しく解説をしてくれるサスペンションの伝道師……なのだが、
クルマに乗るとヒトが変わる、というか、一般の人間が考えているスピード領域と異なった領域での運転をするヒトである。
別項で記したように、R32GT-Rのフルコンピュータ取材のときに、担当の方にトルクの谷の存在を実感してもらうために、全開で峠を走ってしまう性格である(笑)
そんな国政さんの30年ほど前のことを、ここに記録しておこうと思いました。日本人として、初めてパイクスピークのヒルクライムにチャレンジしたのが、1988年でした。いまでこそ、モンスター田島さんがエントリーすることで知られるようになりましたが、当時は日本国内でも知っているひとはごく少数。
まして、そこにチャレンジするなんてのはもってのほか。という時代でした。パイクスピークを始めとして、外国のオープンロードレースというのは、非常に過酷で、信じられないほどのスピード領域で争われます。マン島、モナコを筆頭に、それはもう、頭のネジが3本くらい足りないひとたちが考えたレースです。
国政さんと、初めてお会いしたときに、ふたつの質問をさせてもらいました。ひとつめは、「トラストのCカー(ポルシェ)は、当初、リタイヤ続きだったのに、国政さんがチーム監督になってからは、ノーリタイヤでしたよね。あれは、なにをしたんですか?」ということ。
「あぁ、あのときですね。別にたいしたことはしてませんよ。ポルシェは、レーシングカーですから、各部分がギリギリの性能で作られているんですが、最初にブリヂストンのタイヤで開発していたのが、トラストさんのからみでダンロップに変更したんですが、同サイズのタイヤを入れたはずなのに、外周が少し異なっていたんですね。だから、同じ外周のタイヤに変えました。それだけでしたよ(笑)」
もうひとつの質問は、「以前、ダートラ用に、クルマをまっぷたつにしてホイールベースを詰めたのを作られましたよね? あれはどういうことだったんですか?」だった。
「あぁ、あのクルマね。トレッドとホイールベースのバランスが悪かったんで、いいバランスにしただけです。いやあ、結果、良いマシンになりましたね」
おかしいですよね。このヒト。
どうして、クルマの本質に、すぐに行ってしまえるんでしょ?誰もが常識だと、殆どの人間が疑わない部分を、スッと飛び越えて、いいクルマという部分に、スッと……それ以降、おつきあいをお願いしています。国政理論は、たんなるオジサンの能書きではありませんでした。他の誰よりもダイレクトで、根源的で、効率のいい理論でした。
このあたりの具体的な部部は、おいおいと紹介させていただくつもりですが、今回は、国政理論の原点というか、30年前のイケイケの国政さんを紹介したいと思いました。
ま、いまでも、温厚そうな外観の内側はイケイケですけど……。
●パイクスピークに挑む3SーGエンジンを、TRUSTが製作。
●1986年全日本ダートトライアルの模様
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