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鋸山ヒルクライム初開催!

CARBOYイベント(1987年12月号)

チューニングマシンが全開で挑む
本邦初公開のヒルクライム開催っ!
いやあ、スリル満点でありました!!

ヒルクライムという競技は、
なにもCARBOYの専売特許でも何でもなく、
欧米で広く行なわれている競技であります。

しかしながら、今回紹介するヒルクライムは、
それまでのものとは、チョイと異種のそれでありました。

「???」と思われた方。
当然ですよね。ナニが違うの? ドコが異なってるの?

従来からあるヒルクライムという競技は、
読んで字のごとく「丘を登る!」ものです。

ま、正直なことを言えば、上の1枚の写真を撮影するために
開催したイベント……と言ってもいいかもしれません。
ガードレールの外側に、一般のギャラリーが集結して、
いつか来るマシンを待っている……WRCやマン島、
その他のレースイベントではおなじみの光景ではありますが、
CARBOYとしては、このような形態は初めてでした。

ヒルクライムというカテゴリーのなかで、
強烈に激しいものとしては、アメリカの
パイクスピーク等が知られています。

ちなみに、このCARBOY HPでも、
日本人で最初にパイクスピークに挑んだオトコ……ということで、
オリジナルBOXの国政さんを紹介したことがありますが、
国内でパイクスピークといえば、様々なマシンで
挑戦を続けた、偉大なドライバー『モンスター田嶋選手』も、
何度か、CARBOYで取材をお願いしました。

 

そこまで激しくなくても、
クラシックカーを集めたヒルクライム大会など、
様々な形で、いろんなスピード領域で、
ヒルクライムという競技は、世界中で開催されています。

 

それらのヒルクライムと、CARBOY式のヒルクライムは、
どこが違うのか?

そこです(笑)

総勢168台という、ものすごいエントリー数でありましたが、
そのほとんどが……『チューニングカー』であることでした。
レース車両でもなく、懐古車両でもなく、ディーラー出庫車でもなく、
自分が思い思いに改造した車両が、ドンドコと集まったのが、
CARBOYヒルクライムでありました。

普段なら、日陰者であり、夜のストリートや峠を、
思い思いに走っているドライバーが、ここぞとばかり
千葉県の鋸山に集結したわけであります。

深夜の埠頭や、僻地のストレートコースにしか出没しない
ゼロヨンマシンが、CARBOY0→400mに集結するのと、
基本的には同じことでありました。

最盛期のCARBOY0→400mには、応募数が
500台以上ありました。

はがきや封書を選別するだけでも2日間程かかりました。

当時、冗談半分で言ってたことですが、

「日本のモータースポーツのなかで、
参加者が一番多いカテゴリーは、
ゼロヨンじゃないの?」

でした。

ドリコンGPも、エントリー数は半端じゃなかったですが、
CARBOY0→400m程じゃありませんでした。

そして、今回紹介するCARBOYヒルクライムも、
非常にゆるい選考基準だったもんで、
168台というエントリーになったものの、
最初のイベント、どうなるかわからない競技という面では、
非常に多くのエントラントが参加した、ということができると思います。

 

 


当然のことながら、最初のイベントでありますから、
アクシデントは満載でありました。

スピン、軽いクラッシュ、コースアウト……いろんな
ヒヤヒヤ体験を繰り返しながらも、
なんとか、無事にイベントを終了することができました。

が、であります。

好事魔多しという格言(?)がありますように
この日最悪のアクシデントが、イベント終了後に
発生いたしました。

参加車両の熱い走りに刺激されたギャラリーのなかで、
「オレも、いっちょうやったるか〜っ!」と
アクセルを踏みすぎた方が、コースアウト……だったら
よかったんですが、そのまま勢い余って、
崖下に転落なさってしまいました(泣)

イベントは無事に終了したものの、
転落した車両の救出や、救急車の手配等、
イベント外のアクシデントとしては、
非常に手間がかかった思い出が……ありますね〜。

 


 



↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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