発展期を迎えたドリコンGP
奇妙キテレツなエントラントの
登場で一気に人気沸騰するっ!
前回ご紹介したのは、1990年度の最終戦。
織戸 学選手がグランドチャンピオンになった一戦でありました。
その翌年度。
つまり、今回紹介するスポーツランド山梨の開幕戦で、
これまで、誰も予想すらしなかった異次元のドリフトが誕生しました。
『直ドリ!』であります。
一体全体なんなんだ〜?
ドリフトというものは、コーナーで横Gがかかって、
そのときにタイヤがスライドをする状態……なのに、
あろうことか、コーナー手前の直線部分で、
ドリフトをするという、なんとも言いようのない技であります。
このときのびっくり度というものは、おそらく、ドリコン史上の
空前絶後であったといってもいいかと思います。
ストレート部分で加速して、コーナー進入時にきっかけを
作ることで、ドリフト状態に入る……だが、渡辺卍選手は、
あろうことか、直線部分で右に、そして左にと、
クルマが妙な具合にドリフトを続けながら、
コーナーに侵入していくわけです。
「けったいなやっちゃな〜」というのが、
最初の驚愕が収まってからの印象であります。
ドリフトに、こういうものが必要なのか?
このドリフト風なものをドリフトと呼んでいいのか?
そんな疑問が、グルグルと頭の中を駆け巡る。
『直ドリ!』というのは、そういうインパクトを持った技でした。
ドリコンGPというのは、それまでにない
競技&イベントではありますが、
ここまで拡大解釈していいのか?
そんな想いとは裏腹に、『直ドリ!』は、あれよあれよという間に、
ギャラリーの大喝采とともにチャンピオンシップをもぎ取りました。
いま考えれば、世界中に伝播したドリコンGP現象のなかで、
『manji!』と呼ばれる技が、いろんな地域で行われています。
『manji!』というのは、和訳すれば『卍』であります。
当時、少林寺拳法をかじった渡辺選手が、優勝の喜びを
体で表現したときに「これから、キミは卍だっ!」
ということで命名されたものでありました。
その命名が、『直ドリ!』に刺激を受けた
世界中のドリフターによって模倣され、
受け継がれてきた……そう考えると、
非常に感慨深いものがあります。
優勝候補と目されていた地獄の公務員こと
もうひとりの渡辺選手が、決勝で『卍』に破れたときは、
番狂わせだと言われた。長い進入時のドリフトが、
破綻したせいだとも言われた。
しかしながら、あれから20数年が経過して、
『卍』という技が生き残り、公務員ドリは忘れ去られようとしている。
時間というもの、時代という区分、
そういったものが、あらためてふたりの渡辺選手の
相違を感じさせてくれるような気もいたします。
でも、どちらも、インパクトは……凄かった〜(笑)
☆卍渡辺のドリフト ドリコンGP 1991年 第1戦
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