適当な電話取材をもとに
テキトーなことばっかり並べた
妄想空想捏造対談記事……でしたっ!
先日、見知らぬ電話番号から、電話があった。
「……モシモシ」
「フジモトくん?」
「……はい」
「アメミヤです」
「……はい?」
「アメミヤですっ」
「……はっ?」
「だから、アメミヤですっ!」
「……あ、あ、アマさん?」
「そう、久しぶりっ!」
20年ぶりくらいのアマさんからの電話でありました。
内容は、ま、別に大したことではなかったのですが、
若い声にびっくりしました。
CARBOYの撮影の時、
「オレ、写真とか撮られるの、苦手なんだよな〜」
「ナニしていいかわからないから……緊張するしぃ」
「だったら、アマさん、ビースとかしてみます?」
「ピースって、あのピース?」
「ええ」
「おじさんが、ピースなんて、似合わないよ〜」
「大丈夫ですよ、大丈夫」
「ホント?」
…………というわけで、
撮影のときは、いつもピースをしてもらうことにした。
まさか、それが、後年、トレードマーク的になるとは、
そのときは予想打にしておりませんでした(笑)
下の記事は、1981年11月号
『RE雨宮の人生相談 第15回目』というコーナーでありました。
CARBOY創刊が1980年で、それからちょっとした頃から
連載を始めたのだと思います。

編集部に届いたハガキを片手に、アマさんと電話しながら、
適当なことをくっちゃべって、記事を捏造しておりました(笑)
その後も、いろいろとお世話になりました。

なかでも、印象的なのは、特集のタイトル撮影に付き合ってもらったことでした。
絵になるんですよね〜(笑)
だから、ついつい頼んでしまうんです。
そのあたりの記録として、数枚のタイトル写真を掲載します。




で、以前にも紹介しましたように、
1991年には、チューナー人気投票の結果
選出された4名のチューナーの方にお願いして、
正月号SPLの撮影を、明治神宮で決行いたしました。

ま、ま、そういう経緯があったわけでありますが、
今回紹介するのは、その2年前。
元号が『平成』と変わった1989年の記事であります。
登場する対談チューナーは、以下の6名。
梨本由行(ランナッポレーシング)
雪宮勇美(RE雪宮自動車)
向江敏之(H&S関西)
山本山豊史(RSヤマモトヤマ)
大山勝房(ユルス)
安崎康之(RSヤスイ)
なんとも安直といいますか、
ひねりがないと申しますか、
ちょんバレ120%の命名でありますが、
それぞれの方に電話をして、
適当なことをくっちゃべって、
無責任な記事を濫造させていただきました。
しかしながら、平成元年の当時から考えますと、
RSヤマモトの山本さん&コルスの小山さんは
鬼籍に入られましたし、隔世の感があります。
そんなときに、冒頭でも述べましたように、
元気なアマさんから電話を頂いて、
なんとも、ニンマリしてしまった次第でございます。
当時のチューン世相、考え方など、
いま読み返してみると、非常に興味深いものがあります。
ま、おひまなときに、ジックリと……。



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