35年前の最新TUNE計画……
このときのパルコ的小売店集合方式は、
いろんなその後の可能性を秘めていた!

1月号というのは、正月号であり、
その年度の始まりを象徴する存在である
……というふうに、堅苦しく考えていたわけではないのですが、
日本人ですから、なんとな〜く、正月気分が抜けません。
で、冒頭に、以下のような文言が並んでおりました。
◇ ◇ ◇
国産チューニングカーは、かつての国産2輪メーカーが
そうであったように、欧州チューンドカーを目標と
して発達してきた。
そして、いま、国産エンジンのチューニングは、
欧州スポーツカーの『味』をターゲットに
しつつある……(後略)
◇ ◇ ◇
なんとまあ、偉そうなことをぶちまけてくれました。
欧州スポーツカーの『味』というのは、
いまだもって超えることができておりません。
ま、欧州スポーツカーが、国産車に近づいている部分もありますが、
当時のターゲット車両というのは、BMWのアルピナでありました。
このころ、エンジン出力的には、アルピナを超え、
速さではポルシェターボを超えつつあった時代でありました。

いまから、35年前です。
そう考えると、年月といいますか、歳月というものは、
あっという間に過ぎ去るもので、こうしよう、ああしたい、
そう思っていた人間の思惑というものは、
アレヨアレヨという間に、消し飛んでいくものでもあります。
ただ、ここで注目したいのは、
当時のチューニング事情というものが、
ただただパワーアップを目標としたものではなく、
国産車をベースにして、いろんなベクトルで暗中模索していた。
ということができるのではないでしょうか?
企画中に登場する柿本改の800馬力構想は、
強烈なインパクトがありましたし、
RSヤマモトの300ZXは、撮影中に自衛隊のフェンスに激突し、
マルビTUNEの本家本元となっていくレーシングサービスYASUさんが、
CARBOY初登場でありましたし、

ターボが、スーパーチャージャーが、
首都高が、REが、そして色んなモノが、
可能性というものに満ち満ちていた時代でありました。
この頃、中学生だったヒト、高校生だったヒト、
若すぎる読者さんたちは、50代になっていることでしょう。
早いひとならお孫さんもいるでしょう。
そう考えると、非常に遠い昔のような気がしますが、
技術の進化という側面から見れば、
少しばかり異なった時間軸を感じます。
昨今のメーカー主導の技術合戦に、
どうも違和感を覚えてしまうのは、
チューニングカーが目指してきた理想のクルマ像と、
最近の自動運転に代表される便利なクルマ像に、
大きな隔たりがあるからかもしれません。
楽しむためのクルマという機械と、
楽に乗るための機械には、根本的な部分で、
ベクトルが異なっている……のでしょ。










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