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ボクの300km/hレプリカ
1987年3月号

国産マシンの最高速チャレンジ
当時の『常識』では
300km/hが到達点だった

雨宮さんと大川さん、
そして山本さんの3人にお願いして、
公道撮影を行ないました……といいますか、
いつも『公道撮影のCARBOY』でありますが、
このときの撮影は、少々の緊張モノでありました。

カメラマンは体力自慢の檜山さん(笑)
ハッチバックのバンの後部に
ロープで体を縛り付けて、
延長ロッドにカメラをセットして、
超ローアングルから、広角の構図にしました。

……が、です。


非常に危険なうえに、それぞれのクルマが
それぞれの車線を走っていると、
構図的には、バッラバラに見えてしまいます。
ですんで、手で合図して、
「もっと近寄って!」
「もっと、もっと近寄って!」

で、撮影車両と3台のマシンの距離も、
少し離れれば……つまらない写真に。

ま、ま、そういう内幕があったうえで
撮影したのが、トンネル内の3台並走写真でありました(笑)

 

ま、最初に言ったように、CARBOYでは、
基本的に『公道撮影』が基本(?)でした。

撮影中に、クレームが来たり、
クラッシュしたり、通報されたり、
警備員さんに追い出されたり……ま、ま、
そういうことは、日常茶飯事でありましたですよ、ハイ。

当時の自動車雑誌は、そういうトラブルを回避するために、
サーキットを借りたり、箱根を使ったり……でも、
違法改造車(当時)での遠征は、なかなか難しいものがありました。

 

その昔、死喰魔(東京)さんの撮影のときに、
オーバーサイズボディに、スリックタイヤという状態で
登場した次の瞬間に摘発されてしまったということも
ありましたので、撮影は迅速&速やかに行なうのが基本。

でも、いい写真を掲載したいので、
時間をかけて撮影したい。

当時は、そういうジレンマのなかにありました。

 

300km/hという『数値』は、
当時の憧れの数値でありました。
谷田部自動車研究所のオーバルコースで行なう
最高速テストは、当時はOPTION誌の独壇場でありました。
何度も開催され、どこのSHOPが、どのクルマが……。
そういう記事が、誌面を賑わわせておりました。

ただ、藤本は、あまり乗り気ではありませんでした。

 

というのも、谷田部自動車研究所の設計速度は180km/h。
180km/hで45度バンクに入ると、手放しでも真っ直ぐ走る。
アクセルを緩めればバンクから落ちていき、踏めば登る。

そういう設計でありましたから、
そこを300km/hで走るというのは、
非常に危ない。

藤本的には、危ないのはイヤなんです。
ドラッグのタイムが7秒前半に入ってくると、
終速は300km/hを超えます。
で、当然のことながら、危険な領域に入ります。

でも、谷田部自動車研究所の300km/hと、
ドラッグ終速の300km/hは、
危なさに違いがあります。

そのあたりが、CARBOY的に最高速チャレンジを
積極的に取り上げなかった、最大の理由でした。

ドラッグ終速の300km/hは、マシン設計や、
ドライビングの正確さで、安全に止まることができるけれど、
谷田部自動車研究所の300km/hは、イチかバチが要素が大きい。

といいつつ
「だったら、CARBOY0→1000mはどうなの?」
「あれも、けっこうやばいんじゃないの?」
……おっしゃるとおりです。
人間というやつは、自分の田んぼに水を引くばかりで、
首尾一貫というのは、なかなかに、難しいものであります。

ま、ま、そういう理由でしたんで、
谷田部自動車研究所の300km/hではなく、
そのマシンの『STREETレプリカを作る!』
そういう企画でございます。



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