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PRIVATERの台頭と進化
1986年頃

潜在的な存在であった
プライベーターという人種を
クローズアップすることで
TUNING業界は大きく変化した

そもそも、プライベーターというのは、何者なんだろう?

Wikipediaに頼るなら……モータースポーツにおいて個人参加者であること。

F1の世界では……プライベーターとは、自動車メーカーではない
企業が運営する独立系レーシングチームのこと。

Google翻訳すると……出てこない(笑)

で、CARBOYにおいては『PRIVATE TUNER』の略語であります。
プライベートチューナーを縮めて『プライベーター』なんであります。

これは、藤本自身も、NET検索をしながら気がついたことでありました。

そっか、そういう意味だったんだ。
これまで原稿用紙に、あるいはワープロ画面に死ぬほど書き込んだ用語が、
そういうことだったんだ〜。あらためて納得いたしました。

CARBOYの誌面で「プライベートチューニングレポート」というコーナーがありました。
最初の頃(橋本編集長時代)は「読者の改造報告」というタイトルでありました。
これじゃあまりにもあんまりなんで、藤本が勝手にタイトルを変更しました。
当時、新米編集者でありました藤本ですから、仕事といえば、
読者さんからの投稿をリライト(原稿に起こす)ことが中心でした。
取材なんてのは、月のうち1回か2回。
後は、ひたすらに読者さんからの投稿を原稿に起こしておりました。

そして、その作業は、新米編集者から、生意気新人編集者、中堅気まぐれ編集者へと、
藤本自身が変化していったときにも、ずーっと続けておりました。
(青春指南道場だけは、終了まで続きましたが……)

どうしてかと言いいますと……面白いんです。
よくもまあ、こんなことを考えつくヤツがいるんだ〜。
ホント、バカバカしいことを思いつくよな〜。
どうしたら、こんなことをやろうと思うんだ?

そういう『楽しさ』が、てんこ盛りに詰まっていたからでありました。

もちろん、頂いた手紙やハガキは、そのままリライトしたんじゃ、
まどろっこしかったり、長すぎたり、前後の脈絡がなかったりと、
いろんな問題がありますんで、少しずつ手を入れたり、
ある部分では盛ってみたり……(笑)

でも、気をつけていたことがひとつだけ。

投稿してくれたヒトは、いまのようにメールで、
元の文章が残っているわけじゃないので、
だいたい、こんなことを書いたな〜っという記憶だけがあります。
ですんで、手直ししたり、順番を変えたとしても、
書いた本人が気づかないように。
「えっ? オレってこんなにスムーズな文章を書けたっけ?」と
思っていただける程度のリライトをかけておりました。

でも、ですよ。
内容というのは、作るわけにはいかないんです。

それまで、庭先で、軒先で、ガレージの片隅で、あるいは橋の下で、
コソコソと行なっていた作業を、雑誌に発表する。

その行動の積み重ねが、世に『プライベーター』を生み出しました。

こんなことやっていいんだろうか?
ホントに、エンジンは復活するんだろうか?
走ってるうちに、どうにかなってしまわないだろうか?

不安と疑心暗鬼を繰り返しながら、プライベーターは成長していったんです。

 

 

CARBOY誌上で著名なのは、サニトラベースの白鳥くんだったり、
その後スタッフになるマサチューセックス大学の釜田博士だったり、
板前廣野くんだったり……枚挙にいとまがないほどに、出現しました。

もちろん、プロになる人もおりました。
というか、現在のチューニングショップのオーナーというのは、
ほとんどがプライベーターからショップオーナーへとなっていったのです。

ま、チューニングというものを行なっていたひとというのは、
日産やトヨタのワークスエンジニアであったり、
古くからのスポーツコーナーオーナーでありましたし、
その照準はレースマシン製作でした。

ストリートマシンに手を入れ、エンジンパワーを増大させるというような
一歩間違えば暴走族を助長するようなことは、もってのほかだったわけです。

ですが、プライベーターは存在しましたし、チューニングショップもできました。

そんな例の代表選手とも言えるのが、
現在は「プロモデット」のオーナーである小峰さんでした。

古いCARBOYを漁っているうちに発見したのは、
プライベートチューンレポートコーナーに投稿された
小峰さんのレポートでありました。

その後、細田さんと一緒にPRIVATE POWERというチームを結成。
その仲間には、後年ショップのオーナーとなる人もいろいろ。

   
1984年PRIVATE TUNING REPORT

1986年PRIVATER特集

 


北海道ゼロヨンの賞金100万円を元手に、
機材を購入して、ショップを始めた小峰さんは、
ドラッグレースを中心に、活動を続けていくことになるのだが、
ある時、ポルシェの可能性に気づいて、その後は
ポルシェのチューニングを展開してくことになる。


1988年業界は楽しい特集

 

 

CARBOY 2017 reborn #9 『プロモデット Part 1』

動画が見れない場合は、左のリンクをクリックしてくださいませ

 

 

っと、そんなことを思いながら、
YOUTUBE掲載動画作業をしておりましたら、
当時のCARBOY0→1000mの実写動画を発見しました。
たぶん、プロモデットスタッフがアップしてくれたもんでしょ。
紹介させていただきます(笑)

 

☆実写!!1200馬力ポルシェ911ターボ棚沢氏所有BYプロモデット

動画が見れない場合は、左のリンクをクリックしてくださいませ

 

ここでは、プロモデットの小峰さんの例を挙げたが、
全国には、このようにプライベーターを出発点として、
チューニングショップを開業していった人がごまんといる。

そして、そういう道を選ばずに、
ずっとプライベーターとしての立ち位置を楽しんでいる人もいる。

ま、千差万別、ヒトそれぞれということであります。

今回紹介するのは、プライベートチューニングレポート出身者のみならず、
特定の地方や好き者の間で評判になっていた人たちであります。

1986年という年の特集記事でありますが、
これからCARBOYという雑誌は、
ドンドコとこの路線を追求していくことになります。

ま、そのあたりは、年代を追いながら、おいおいと紹介させていただくつもりですが、
まずは、当時の雰囲気を濃厚に残しているプライベーターの方々をば……。

 


1984年PRIVATE TUNING REPORT



■CARBOY企画特集 ■

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よろしかったら、お願いします。

 
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