30年前の『新時代インジェクションTUNE』
1985年頃

F-conもMotecもない時代
手探りアシ探りでコンピュータに
立ち向かっていた頃がありました……。


先日、キャブレターのセッティング入門編的なものを
アップしましたが、今回は、それこそ役に立たない
コンピュータ関連のチューニング記録です。

タイトルには、
「これであいつにゃ勝てる!」とありますが、
たぶん、これは池田さんが付けたタイトルでしょう。

誰に勝つのか、よくはわかりませんが、
とにかく、そういう『気分』だったのは間違いありません。

1985年といえば、スカイラインでいえばR31、
世はハイソカー全盛の頃でありました。
FJ20、1G-Gといったエンジンが、インジェクション仕様で
生産され、そいつをなんとかしようと、四苦八苦していた時代でもありました。

コンピュータチューンというのは、純正のECUを改造するタイプと、
ECUそのものを入れ替えるタイプに分かれますが、
当時は、まだまだROMチューンという言葉も一般的ではなく、
フルコンという言葉は、まだ知らなかった時代でした。

サブコンと呼ばれる燃料コントロールシステムが登場したのは、
ターボチューンの台頭によって、とにかく燃料を増やしてやらなければ……
そういった気持から産まれたものですが、当時は、とにかく
コンピュータというやつを、なんとかせにゃならぬ!
そう考えておりましたですね、はい。

ROMチューンが誕生するのは、RB26DETTやSR20DETといった
エンジンが登場してからのことになりますが、それ以前は、
いろんなメーカーやチューナーが、五里霧中のなか、
いろいろなチャレンジを行なっていたわけです。

今回紹介するのは、1985年当時のSK三陽のD-FiTや、
HKSのスポーツインジェクション、当時のインジェクション関連の
カタログ等であります。

いまとは、いえいえ、20年前とでも、
隔世の感のあるインジェクション事情でした。

こういうチャレンジを繰り返しながら、少しずつ、日本のインジェクション
チューンが進行していったわけです。そう考えると……けっこうシビレます(笑)

 

 

 

 

 

 



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