カム研から作り出した熊谷のカムおじさん
1984年頃

コンピュータ登場前には
いろいろな機械を駆使した
カムシャフト制作方法が存在した!!

「コンカム」という言葉を聞いたことがあるだろう。
コンピュータ制御した機械で削り出されるカムシャフトのことである。
おっと、ポンカムとは違いますよ。あちらはポン付けできるカムシャフト。
東名パワードさんが命名したもので、こちらも、「コンカム」です。

カムシャフトというのは、鋳造されたの素材から削り出される。
ジャーナル部を削り、カムシャフトの山部分を削り、
固有の作用角とリフト量を持つカムシャフトに仕立て上げられるわけだ。

現在の常識では、このカム山やジャーナル部分を削るプログラムを
コンピュータが制御しているわけだが、それ以前には、
「マスターカム」と呼ばれる基本形状をトレースしながら、
ひとつずつのカム山を研磨していたわけだ。

また、その昔には「加工カム」というものも存在した(いまもあるか?)。
カム山のベースサークル(一番低い部分ですね)を削ることで、
リフト量や作用角を思い通りの数値に変更する方法だ。
それに加えて、カム山に素材を新たに盛り上げて溶接し、
それを削るという加工カムも存在した。

このあたりになると、マスターカムを作り出して、
それに従って、手作業の機械加工を行うことになる。

ここで紹介する「熊谷のカムおじさん」は、当然のことながら
コンピュータ制御に頼らず(というか、当時はなかった?)、
機械にセットしたマスターと、素材をひたすら機械加工することで、
チューニングエンジン用のカムシャフトを『研磨』していたわけです。

関東では、熊谷のカムおじさんと溝江さんのカムが有名だった。
記事が掲載されたのは1984だが、カムおじさんがカムシャフト研磨に
関わり始めたのはもっと、ずっと前のこと。

オートレース用のカムシャフト研磨から始めたカムおじさんだが、
取材当時は、74歳(明治44年生まれ)だったから、
ご存命なら107歳……いえいえ、そんなことはありません。
トップフューエルレーシングの前社長さんが、面倒を見られて、
10数年前にお亡くなりになったようですが……。

カムおじさんのスゴイところは、
カムシャフト研磨にあるだけではなくて、
カム研の機械を作ったことだと思う。

しかも、作り出したのは、マスターカムと製品カムの
双方を削り出すことができるという、他には見られない機械だった。

ちょうど、L型のチューニングが加速度的に全国展開し始めた頃、
カムおじさんの作り出すカムシャフトは、様々なレースやストリートで、
その高性能ぶりが喧伝されるようになっていった。

ターボという補機類がない時代だったから、カムシャフトの性能は、
そのエンジンの性能だった。だから、素性のいいマスターの制作、
そして、それを忠実に再現したカムプロフィールを作り出すことが、
エンジンチューナーたちにとっては、最重要事項だった。

それまでのレース用のカムシャフトでは、プロフィールに満足できない。
ゼロヨン用のカムシャフトというのは、日産工機では製作されていないわけだ。

ターボが登場してからも、ブーストを上げたエンジン用のカムプロフィールというのは、
メーカーやレース屋さんにも存在しなかった。

下の記事の、カムおじさんの撮影をした時のこと。
カメラマンが、やけにしつこくて、おじさんのアップだけで、
フィルム5本を使ってしまった。1本に36カット撮影できるから、
180カットである。おじさんは、撮影に慣れてないものだから、
終了したときはヘトヘト(笑)

しかしながら、藤本も、1枚の写真を選ぶのに、同じようなカットを
180カットのなかから選ぶというのは、初めての経験だった。
無駄遣い、ですよね……あ、いま思い出した。


間違ってました。5本のフィルムをつかったのは、最初の撮影で、
カメラマンが露出に失敗して、再度撮影をお願いしたときだった。
最初が3本ほど、2度めの撮影が5本でした(笑)

 

この後しばらくしてから、HKSさんから「コンカム」が登場し、
他メーカーからもコンピュータ制御のカムシャフトが発売されるように
なっていったわけだが、削っている途中でカム山を撫ぜるように、
確認しながら、機械を使っているカムおじさんのことは、
その時代と、それまでの工夫等、イロイロなものがオーバーラップして、
なかなかに、存在感があるものだった記憶が蘇ってきた。

ただ、手加工(機械加工だが)の欠点として、ノックピン位置が
微妙に異なっていたり、作業ミスでひとつのカム山だけが、
プロフィールが異なっていたりということもあったようだ。
古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、
均質な加工が可能なコンピュータ制御が、古き良き時代を
凌駕してしまうのは、世の趨勢でもあろうし、世の常でもあります。

だけど、少ない設備、足りない精度を、工夫や熟練度でクリアしていく
という日本が世界に誇る『町工場技術力』というのは、
忘れてはいけないことだと思う。装備が進化すれば、そこにまた
新たなハードルが顔を覗かせる。それをなんとかクリアしていく……
そういう意味では、いまも33年前も100年前であっても、


『技術』というものを追い求めるところでは、
な〜んら変化というものはないように思える。

 



↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


TOPへ戻る

↑イロイロな記事がありますので、
Contentsページをご覧になってくださいませ!