CB首都高SPL!
1987年4月号

 

首都高速環状線は、内回りと外回りの2方向のルートがある。
そのなかでも『C1』と呼ばれるルートを、とんでもないスピードで
走るマシンがいる……そういう伝説を紹介したのは1986年だった。

 

 

白い弾丸と呼ばれたMR2の話を紹介して、1年ほどが経った頃、
次第に首都高環状線の走りはヒートアップし続けた。
同時期に阪神高速の環状線の話を聞いてはいたが、
CARBOYで取り上げなかったのは、首都高のそれとは、
ちょっとばかり事情が異なっていたからだった。

ま、それはそれとして……。

いまからちょうど30年前の1987年4月。

CARBOYは、『首都高SPL』という特集を組んだ。
なんともはや、とんでもない話である。

『渋滞がある、工事中のこともある、
 だけど、5分台で回るヤツがいる!』

ムチャムチャな話でありました。
でも、それは、イロイロなところから取材を行って、
事実……でした。

一歩間違えば、いや、間違わなくても、
大事故に繋がる話である。慎重にしなければ。
そう感じながらも、どうしても魅せられてしまった。

で、最初にやったことは、ステッカー作りだった。
形から入るっていうんですか?
CARBOY創刊当時からのデザイナーの阿部さんと、
ああでもない、こうでもないと相談しながら、
作ったステッカーが、上の『CB首都高SPL!』だった。
右側には「ONE NIGHT RACER」と書かれている。

日本語に斜体をかける場合、常識的なのは右側に傾ける。
しかしながら、首都高の文字はあえて、左斜にした。
それにともなって、英文字も同様に。
一見すると、なんとも落ち着かない。
しかしながら、右側の「ONE NIGHT RACER」を
斜めに配してみると、なんだか、いい感じになった。

藤本好みのステッカーのひとつであります。

ま、首都高のことに関しては、下の記事を、
じっくり読んでいただければ、当時の様子が
なんとなくわかっていただけることと思う。

深夜、というか明け方近くのクリアーラップが
取れそうな時間帯のみに出没していた
首都高族は、あっというまにその数が膨れ上がり、
無謀な運転、無茶な走りが横行しはじめ、
次第に阪神高速化していった。

でも、この首都高SPL!を構想していたときに、
藤本の脳裏にあったのは、大藪春彦さんの小説で、
N360のエンジンを自分で改造して、火が入ったあとに、
明け方に走りに出かける……あのシーンである。
なんという題名だったか、ど忘れしてしまったのだが、
あの感じ、ああいうクルマとの付き合い方を、
藤本は自分勝手に、大藪春彦さんから教わった。

いいな〜と思った。作ること、そして走らせること、
そして、それのほとんどが『違法』であること。

そういったものに、憧れがある。

それを形にしていったのが、CARBOYだった。

ま、オジサンの戯言だと思って、見てやってください(笑)

 


 

 

 

 



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