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25年以上前のFRがクロスミッションで8秒台!? |
1989年頃 |
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四半世紀前のゼロヨンBATTLE
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F5C71B |
1速 |
2速 |
3速 |
4速 |
5速 |
後退 |
OPTION 1 |
2.818 |
1.973 |
1.470 |
1.192 |
1.000 |
3.382 |
OPTION 2 |
2.348 |
1.601 |
1.296 |
1.138 |
1.000 |
3.382 |
OPTION 3 |
2.192 |
1.601 |
1.470 |
1.138 |
1.000 |
3.382 |
OPTION 4 |
3.321 |
2.270 |
1.601 |
1.240 |
1.000 |
3.382 |
S30前期 |
2.957 |
1.858 |
1.311 |
1.000 |
0.852 |
3.382 |
240Z |
2.906 |
1.902 |
1.308 |
1.000 |
0.864 |
3.382 |
S30後期 |
3.321 |
2.077 |
1.308 |
1.000 |
0.864 |
3.382 |
ただ、この項で強調したかったのは、当時のミッションは、
普通のクロスミッションであって、ドラッグ用のATや、
VゲートでもIゲートでも、エアシフターでもなかった……。
そういうことなんです。
このミッションを使って、
バーンアウトなし、ドライホップなし、VHTなしの状況で、
9秒283……です。
参考のため、このときのCARBOYゼロヨン上位タイムを
掲載しておきたいと思う。
そして、次年度となる1990年には8秒台突入の時代となったが、
あいにく、その年のゼロヨンは雨続き。
タイムアップは1991年度に持ち越される。
それまで、9秒の壁というものが頑として存在していたのが、
ウソのように、CARBOYゼロヨンにエントリーしたマシン群は、
雪崩をうって、8秒台に突入を果たす。
その年のCARBOYゼロヨンを制したのは、
河西モータースサニーからステップアップした
河西リバーウエストJR130。
つまり、ピアッツァである。
完全なプライベーターでもある河西モータースが、
満を持して作り上げたNEWマシンが、8秒770という
タイムで、優勝を集中にした。
国産自作パイプフレームが、成熟し、それまでの9秒という
『壁』を乗り越えた瞬間だった。
このとき、リバーウエストJR130が搭載していたミッションは、
ATI製のAT。ストールさせるまでの時間がかかり、
非常に多くのチューナーを悩ませた代物だった。
当時のことを、河西モータースの和田さんに聞いたところ、
「本当のことを言うと、あのリバーウエストJR130で、
何年かは戦えると思ってました。サニーでは到達できなかった
領域に、あのクルマならいける……そして、それを
煮詰めていけば……そう思ってたんですけどね〜(笑)」
だが、このとき参戦していたのは、エスコート300ZX、
そしてHKSのスープラだった。
どちらも、アメリカ製のフルパイプシャシーを使った
本場のドラッグマシン。この2台の参入をターニングポイントとして、
CARBOYゼロヨンは、新たな時代を迎えることとなるが、
そのあたりは、また別の項で……。
このとき、ランナップスポーツ柿本Zのタイムは、
9秒078。100分の8病弱のところで、8秒台突入はならなかった。
しかしながら、このときのミッションも、
240Zクロスのまま……。RRCでは8秒台に突入することになる
ランナップスポーツ柿本Zだが、1991年というターニングポイントと
なった年に、ストックボディ改の一般クロスミッション仕様という
装備で、ここまでのタイムに到達したということは、
覚えておいてもいいと思った。
当時のCARBOYゼロヨンは、凄かった。
担当記者である藤本は、あらためて、そう感じました。