CARBOYとRACINGドライバーさん達
1983年頃

2代目編集長の池田さんは、幅広い
交友関係を活用して、いろんなヒトを
CARBOYに登場させてくれた……

ここに登場する
星野一義、茂木和男、津々見友彦、
藤田直広、高橋 徹の諸氏は、
皆さんも御存知の通り、当時著名な
レーシングドライバーさんであります。

と言っても、
掲載している記事は、藤本が担当したものではなく、


当時編集長だった池田さんが作ったものです。

池田さんは、橋本さんの次の編集長で、それまでDriver誌で十数年いたひとだった。
そのときの交際関係は広くて、メーカー広報やレーシングドライバー、
自動車雑誌等と、藤本とはまったく違う交友範囲をもっていたひとだった。

それが、CARBOYという雑誌の編集長になって、
「いやあ、クルマ雑誌を長くやってるけど、エンジンのことなんか、
まったく知らなかったんだな〜」と、素直に認めたのが初印象だった。

その後、藤本とふたりで編集会議をしながら、
「ボクはさ〜、けっこう、いろんなヒト知ってるから、交友関係的な部分は
全部引き受けるから、藤本くんは好きなように企画を立てて、誌面を作って……」
と、いつのまにか役割分担というか、棲み分けをするようになった。

事実、対外的な関係は、ほとんど池田さんが担当してくれた。
「CARBOYに広報車を貸すと、エンジンを降ろされる」と渋るメーカー広報さんや、
「雑誌に広告を掲載するから、ウチの記事を優先的に……」というクライアントさんや、
「やっぱり、雑誌とパーツメーカーは、付き合いが大事でしょ」という社長さんたちとの、
交渉や交際は、ほとんどと言っていいほど、池田さんが担当してくれた。

おかげで、藤本はといえば、クルマメーカーさんとは接触を持つことなく、
面倒な交際や、付き合いをする必要もなく、自分の思い通りのやり方で、
『雑誌を作るという楽しさ』を満喫することができました。
そういう意味では、本当に感謝しております(笑)

仕事の延長で、夜中から明け方まで呑んだり、
一緒にごはんを食べに行った回数も数え切れない。
ま、池田さんは、雰囲気が一番大事な人だったから、
味のことは2の次だったので、決めるのはいつも藤本側だったけど……。

そして、池田さんが、藤本の住む吉祥寺に引っ越してきて、
当時、藤本がやっていた劇団の公演にはいつも皆勤賞で、
一緒にモナコGPやマカオGPに出かけたり、
本当に、あの頃はビックリするほど一緒に行動していた。

ま、編集なんて仕事をしていると、終わるのは深夜だし、
そこから一緒に出かける人間となると、
同じような仕事をしている人間になってしまうのだが……(笑)

藤本がCARBOYのムック本を作るときは、CARBOYをやりきれないので、
池田さんが「谷田部の最高速」とか、そういう企画をやって助けてくれた。

今回、古いCARBOYを見ていて発見した、
『開発ドライバーが全開テスト』というタイトルの企画には、
上記のように、池田さんの交友関係のドライバーに依頼しての
テスト&紹介記事だった。

このなかで、最後に登場する高橋徹選手は、
FISCOの最終コーナーで
クラッシュして亡くなられたわけだが、

もうひとり、印象に残っているというか、CARBOYにとって重要な
キーパーソンになる存在のレーシングドライバーがいた。

この記事から2年後の1986年、スポーツランド菅生で、
テスト走行中に亡くなられた『萩原光選手』である。

箱根最速伝説が語られるほど、ストリートをスタートにして、
レーシングドライバーとして、富士1000km→全日本F3→
全日本F2→世界耐久……そして、日産が初参戦したル・マン24時間の
ドライバーに決定した直後の事故だった。

実は、この企画が記事になったころから、
池田さんと藤本は、CARBOYのイメージ
リーダー的なレーシングドライバーを探していた。

「CARBOYの読者の先輩的」な「ストリート出身」の
「若くて」、「憧れる」存在としての、レーシングドライバーを探して、
CARBOYのメインキャラクターに据えようと画策していたのだ。

そして、その条件を満たすドライバーが『萩原光選手』だった。
池田さんは、内々に萩原選手とコンタクトを取り、
そのような計画をを打ち明け、内諾を貰っていたといっていた。

じゃ、藤本のほうも、『萩原光選手』という存在を、
CARBOY的な展開で紹介&共同作業を始めよう……と思っていた
矢先の事故だった。ビックリもしたし、残念だった。

下の記事は、1984年に掲載された萩原選手の
チューニングカーの試乗記である。
まずは小手調べというところでの登場だったが……。

 

といったことで、池田&藤本の
CARBOY路線変更計画は、オジャンになった。

 

その後、FISCOのフレッシュマンレースを見に行った池田さんが、
土屋さんという存在を知って、CARBOYの誌面協力を依頼することになり、
「藤本くん、とにかく土屋選手は、無駄なほどにドリフトするんだよ(笑)」
ということで、『ドリキン』という愛称をつけた……付けたのは池田さんであります。

藤本は、「池田さん、それはあまりにもあまりな愛称じゃ……」と、思いっきり引いたのだが、
池田さんのキャラクターでもある適当さ(いい意味で)に押し切られてしまった。

「いいじゃん、いいじゃん、分かりやすければ〜」である。

そのころ、池田&藤本のふたりで編集会議をしていたと書いたが、
編集会議だけではなく、タイトル選考会もふたりでしていた。
池田さんがつけるタイトルは、非常にベタ。
対して、藤本が付けるタイトルは、ひねり過ぎたり、突飛なもの……。
ふたりで、ああでもない、こうでもないと、深夜の編集部で、ずっと話していた。

藤本が、池田さんの交友関係に口を挟むことはなかったし、
池田さんも、藤本の原稿や企画に踏み込もうとはしなかった。
そのあたりは、非常にうまくやっていたのだろうと思う。

池田さんが、CARBOYの編集長を務めていたのは、
1982年から、1990年までの9年間。
それまで編集長だった橋本さんが2年だったから、
長かったのだろうが、CARBOYは、その後休刊するまで
1991年から2010年まで、20年以上続いていくことになる。

その間に、八重洲出版の社員さんが、入れ替わり立ち替わり
編集長として赴任し、それぞれの方が、2年から4年の周期で
交代していくことになる。でも、藤本的には、
ワケのわからないオッサンであった橋本さんと、
ちょいワル系の池田さんと一緒に作っていた頃の
CARBOYが、いまでも記憶に残っている。

それ以降は、自分なりの方針と
好き嫌いでCARBOYを作ってきたようなもんです(笑)

池田さんは、CARBOYをやめたあとも、八重洲出版内で、
オートキャンパーという雑誌を立ち上げ、
CARBOY編集部の隣で仕事をしていた。
そして、八重洲出版を退職し、
オールスターオフィスという編集プロダクションを設立して、
イロイロなクルマ雑誌を作っていくことになるわけだが……。

その当初、「藤本くん、今度、プロトコーポレーションの関係で
雑誌を色々と作っていくんだけど……」と、少しだけ誘いというか、
話を持ってきてくれたたことがあった。

「あ、ゴメン、池田さん、オレ、そういうの、ええわ
CARBOYやってるだけでええから」

「そう、そうだよね。藤本くんだからね〜」

それで、話は終了した(笑)

残念なことながら、池田さんは10年ほど前に亡くなられたんですが、
享年が62歳……ということは、いまの藤本からすると、あと2年でございます。
急がなくちゃ、急いで、いまやってるCARBOYのデジタル化を進めなくちゃ(笑)

といっても、藤本がCARBOY以外の雑誌をやったことがないか?
というと、そうでもありません。

CARBOYをやっている頃から、オーディオ関連の広告制作をしたり、
コンピュータ関連の雑誌に関わったり、外車関係の「モーターレビュー」という
雑誌の創刊から参加したり、「HotDogプレス」に関わったり、
講談社系列からドリフト関連の単行本を出したり……いちおう、仕事は
いろいろとやってきましたが、90%以上の割合で、CARBOYという雑誌に
関わってきたことになりますね〜。月刊だけではなく、ムックもいっぱい作りました。
最初のムックは、藤本が25歳の頃に作った『L型チューニングバイブル』でした。


CARBOYに入って3年目くらいですか。そのころまではアルバイト扱いでしたが、
編集プロダクションを作って、いまに至ります。

ですんで、よく勘違いされんですが、藤本がCARBOYの編集長であったことは
一度もありません。ずっと外注スタッフです(笑)
でも、外注スタッフだからこそ、八重洲出版内の人事異動に拘束されることなく、
30年以上もCARBOYを作り続けてこられたんでしょう。

CARBOYという雑誌は、藤本のような外注スタッフというか、契約ライター的な
人間が作り続けてきました。だからこそ、テキトウで、掟破りな雑誌を
作り続けてこられたのだと思いますね〜。

売上や広告収入を気にすることなく、クライアントの意向や、
社内の上下関係や派閥の影響を受けることもなく、
好き勝手に作り続けることができたのは、ホントにラッキーだったと思います。

CARBOYには、いろいろなスタッフが、入れ替わり立ち替わり存在したのだが、
そのことは、また、別の項で……。

おっと、こんな話をしていると、
以降の記事は、あんまり関係がないことになってしまうか〜。
ま、こういう記事もあった……ということで、ご勘弁。

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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