天高く GAL'S0→400m
1981年頃

キャピキャピ、ルンルン
ピチピチGALが12秒中盤タイム
脳天気な0→400mイベント開催!!

歳月というのは、過ぎてみれば「アッ!」という間のものであります。
俳諧の松尾選手も、『月日は百代の過客にして』とおっしゃっておりますが、
谷田部の総合試験路で開催された「GAL'S0→400m」にエントリーされた、
GALさんたちも、36年の歳月を重ねてらっしゃるわけですから、
20歳の方なら56歳。24歳の方なら60歳(還暦かぁ)を、お迎えになったわけです。

ま、そんなこたぁ、当たり前っつえば当然のことでございます。
でも、いまがいくつであろうがなかろうが、当時は、
キャピキャピ(死語ですが、当時としては、生語でありました)でした。
ルンルン、ピチピチでもありました。聖子ちゃんカットでもありました。

その当時、行われていたのは、CARBOY0→400mといっても
「良い子0→400m」といいまして、14秒、15秒は当たり前、
目標が12秒……というあたりの戦いでありました。

で、そんななか、たまたま編集会議で
「女の子がゼロヨンマシンに乗ると、ど〜なんだろ?」
とまあ、ホントの思いつきで企画したのが、今回紹介する
GAL'S0→400mでありました。

ですんで、参加ドライバーのマシンは、自前もあるけど、
ほとんどがSHOPのクルマで、そいつを使っての0→400mでありました。

OL、学生、家事手伝い、歯科医助手、キーパンチャー、喫茶店経営、教諭、
一般事務……あ、これは、エントリードライバーの職業であります。
年齢的には、19歳から24歳まで。最年長は、CARBOY編集部の原由美子さんでした。
おっと、ゼロヨンタイム一覧には、年齢、職業に加えて、B・W・Hサイズも
記入されておりました。いまならセクハラですな(笑)

 

エントリーマシンの方はというと……

吉田レーシング、Mレーシング、ファニーレーシング、
SSクボ、光和レーシング、いとう自動車、プレイベートチューン等々。

そして、優勝争いのタイムは12秒台ということになって、
最速タイムが12秒58……スゴイことでした。
36年前のピチピチギャルが、12秒中盤ですよ〜。

お母さんがついてきて、心配そうに覗き込む場面や、
悔しくて泣いてしまうエントラントも。

藤本が、この記事を読んで、いちばんウケたのは、


「手芸で鍛えたシフトアップ」という一文でした。

たぶん、自分で取材して書いたのだと思うんですが、
あまりにも、秀逸(笑)

 

文中にある取材話が、けっこう楽しくて、
当時を思い出しながら、ついつい、読んでしまいました。

「これは、内緒の話なんだが、ギャルのうちの半数は、400m地点を
過ぎるや否やシフトダウン。ガッキーンとサードに叩き込んで……
ひどい娘になると、エンストさせてたの、知ってるかな?」

一緒について来た娘を撮影したキャプションには、
「グハハハ〜ッ!! 好みなのじゃ、入浴料5000円」
もう、若いとはいえ、もうちょっと、なんとか、ならんのかい。

 

で、最後の最後のドライバーインタビュー記事では、
みんな好きなこと言ってますが、最後に決まって


「……白」とか、「……ブルー」とか言ってますが、


最初はなんだろう?と思ったんですが、パンチーの色でした。
バカじゃないんだろうか? 担当者は??
と、憤慨しましたが、間違いなく…………藤本自身でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

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