MEN’S TUNE CLUB チューン人間主義
1987年

CB TUNE人間GP
人物取材のつもりが、
まったく人物が見えてこない
悲しい記事で、ありました!?

いまから30年前だから、ここに登場する方々は、
キチンと30歳分歳を取られていることになる。
ま、当たり前の話ですが、現在66歳なら当時36歳、
現在56歳なら26歳……となります。

日本で、チューニングというジャンルが芽吹き始め、
あまり表に出なかった人間が、CARBOYを始めとする雑誌を
媒介として、いろんなひとに知られるようになっていった時代だった。

藤本が取材に伺ったのは、戸田さん、長谷川さん、柿本さん、
塩原さん、川崎さんだったと思う。

柿本さんや塩原さん、川崎さんは、何度も取材をお願いしていたが、
戸田さんには、初めてお会いした。いや、2度めだったかな?

当時、戸田レーシング製のフライホイールを製造していて、


「うちのフライホイールは硬度が違います。
通常の刃物じゃ、加工できないくらいにね(笑)」

と、聞いた事を記憶している。

そして、「せっかく遠くから来られたんですから、一緒にご飯でも……」と
誘っていただいたのだが、当時の藤本は、取材先のヒトにご馳走にならない
という、妙に頑なな主義を持っていたもので、丁重にお断りしたことも、
戸田さんは「そうですか、無理には言いませんが……」と、言ってくれましたが、
いろいろな話を聞かせていただいて、非常に興味深かった印象があります。

ま、その後の戸田レーシングさんは、レーシングカー製作の方向に集中されていった
わけですが、その後、北九州のプライムガレージの瓜生さんを通して、
色んな話を聞いていた。

HKSの長谷川社長は、残念なことに昨年末に亡くなられたが、このころの
ターボと言うものにかける気持ち、そしてその後ターボというシステムが、
どれほど発展&普及していったか?ということを考えると、非常に感慨深いものがあります。

藤本が『Drag Magazine』という雑誌を作ったときに、その創刊号で、
長谷川社長の記事を作ったことがある。
写真を仙台ハイランドで撮影したのだが、そのときには、

「長谷川社長! 右手を上げてポーズを取ってください」
「なんなの? 何の意味が?」
「いえいえ、あんまり深く詮索せずに(笑)」

と、なんとない写真を撮影した。

そして、『Drag Magazine』の誌面では、
長谷川社長が右手を突き出している写真に……

『HKSは、ドラッグを徹底的に応援するぞ〜!』

というどでかいタイトルを付けて(笑)

けっこう勝手な使い方をさせていただきました。

でも、その後、HKSさんがドラッグマシンを作り、
川崎選手をワークスドライバーとして採用するように
なるとは……想像だにしておりませんでしたね、ハイ。

とまあ、なんだかとりとめのない話ではありますが、
このなかで、エスコートの塩原さんだけが若い。
他の方が、30台後半から40台だったのに対して、
当時の塩原さんは26歳。どうして、ここにひとりだけ
若者(?)がまじっているのか?
いまでも、不明であります。
年齢を勘違いしていたのか?
老成していたのか?

ま、それはそれとして、それぞれの原稿を、
あらためて読み返してみたんですが……
なんだか、ナニを書いているのか、不明。

ま、当時の注目すべきチューニングのポイントと
そのキーマンになる方に取材をお願いしたのだろうが、
文章がナッチャナイですね〜。
『人間』を取材するつもりが、全然取材できていない。

反省、反省、であります。

ま、しかしながら、当時(30年前)の雰囲気というか、
当時注目されていたひとたちには、こういうひとたちがいた
そういうことに、しておいてくださいませ(笑)

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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