F1ドライバーがドリコンやるっ!?
1993年頃

GOODYEARの広告に掲載されていた
当時のF1ドライバーの集合写真の
パロディ記念写真を取ったワケ

すべてのドリコンドライバーは、
ドリコンパイロットである……って、
いったい、な〜にを言っとるんじゃ?


上の写真は、1993年4月のCARBOYに掲載された
GOODYEARの広告ページである。

当時のF1ドライバーが集合した記念写真であるが、
ま、GOODYEARのタイヤを使っていたチームの
お付き合いで写真を撮ったんでしょ。

そして、下の写真は、1993年6月に掲載された
筑波ドリコンのときの記念写真であり、その下の写真は、
1993年9月の中山ドリコンの記念写真であります。

ま、言ってみれば、程度の低いパクリであります(笑)

しかしながら、ひとつ注目していただきたいのは、
下の写真にelfのバナーがあることであります。

「ンッ? どゆこと??」

                                                       ©八重洲出版 


そうです。CARBOYのドリコンGPは、当初、エンドレスさんが
スポンサードをしてくれていて、各戦の優勝ドライバーを、
マカオやレーシングスクールに送り込む応援をしてくれておりました。

そして、このドリコンGPの冠スポンサーになりたかったのが、
当時elfの日本総代理店だったユニコのダニエル・デマレさんだった。

彼とは、一緒にモナコグランプリに行ったり、その後南フランスを
旅したりと、色んな面で一緒にいる時間もあり、そして、
藤本のドリコンGPを始めた『目的』も、よく理解してくれていた。

                 

 

で、あるとき、ダニエルさんから連絡があった。

「F1ドライバーと一緒に、ドリコンやりましょう!」

「ナニを言ってるんだ、このおっさんは?」と
最初は狐につままれたような気分だったが、
話を聞いてみると、面白くなってきた。

当時、F1が開催される地域で、F1ドライバーとの親睦会というか、
そういうものが、各国でイロイロと企画されていた。
レースの予選が始まる前に、ファンを集めてのサービスデーが
開催されるのが多いのだが、日本の鈴鹿で開催されるときに、
F1ドライバーと、日本のドリコン野郎が一緒になって、
『ドリフト勝負!』で楽しみましょう……ということ。

当時、elf社は、様々なドライバーにスポンサードしていたし、
その付き合いで、日本ならではのファンサービスができるんじゃないか?

 

 

とまあ、そういうわけで、藤本は、TV局(たしかフジテレビだった)と
連絡を取りながら、それまでドリコンにエントリーしてくれていた
ドライバーのなかから、楽しそうなドライバーをピックアップして、
準備を整えていた……そうそう、こないだ、ラウヴェルトの中井くんと
話をしていたら、中井くんは覚えてくれていた。

「そうですよ、あのとき、藤本さんが、ボクに声をかけてくれたんです」

5、6名のドライバーをピックアップして、明後日は鈴鹿に入ろうと、
準備万端していた頃、フジテレビから電話があった。

「なんだか、飛行機のストかなんかが原因で、その日にドライバーが
来日できないことになってしまったようなんです」

ガビーン!でしたね。せっかくここまで準備してきて、
F1ドライバーと、ドリコンドライバーが、日本生まれの競技で対決する。
そんなイベントができて、それがTVで放映されて……その夜は、
お酒を飲みすぎたことはいうまでもありません(笑)

 

 

とまあ、そういう経緯があったために、
上記のような写真を撮影し、悔しさを紛らわせていたわけです。

マンセルとデブ渡辺、プロストと織戸くん、中井くんはだれと……。
ま、そんな妄想を膨らませていたわけですが、泣く子とストには勝てません。

でも、ドリコンドライバーのなかから、レーシングドライバーが誕生し、
ドリフトが当然の世代のなかから、F1ドライバーを輩出するという、
藤本の当初の目論見は、織戸くんのお陰で、ある程度のところまで
実現されました。その点では、本当に織戸くんに感謝しています。
この後、どうなっていくのか? バイクの世界GPのように、
日本人が、世界の檜舞台に立つことができるのか?
そして、そのドライバーが、「ドリフト上等!」という
土壌から育ってきたドライバーなのか……まだまだわかりません。

 

 

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

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