おらぁやっぱり……TUNERがええなっ!

1985年09月


35年前の『TUNER』であります
L型、RE、5MーG……当時のエンジンを
改造するプロフェッショナルの原型

いま、読み返してみると『TUNER論』ではなくて、
完全に『個人論』でありますなぁ(笑)

そのヒト、ひとりの人間、そういうものに
非常に興味があるわけです。
別に、エンジンをいじろうがなにをしようが、
あんまり関係がない……わけです。

当時(1985年)ここに登場する人々は、
一般的には、ほとんど知名度がない。
しかしながら、クルマだとか、エンジンだとか、
モディファイだとか、そういうことに興味のあるひとにとっては、
非常に『知りたい存在』でありました。

雑誌の企画としては、非常に一般的なものであります。
ジャンルが違えば、こういう人物企画というのは、
ありふれているといえば、そうでしょう。

しかしながら、ひとつ違っていたのは、
ここに登場する人たちは、
非常にアンダーグラウンドな人達であった
…………ということでありました。

純粋なレース業界なら、あるいは、公式な場所で
開催されるイベントの関係者なら、
別に、どうということはないのですが、
深夜の、ストリートで、当時は『違法改造』と
言われていたジャンルの住人が、
発行部数ン十万部の雑誌に登場するわけです。

これは、異常なことでありますよ。

でも、そういう異常なことばかりを企画にしていたので、
全国100万人の潜在読者さんが、
「コレですよぉ〜、コレッ!」と、
共感していただけたのだと思います。

 

いま読んでも、現在、こういう職人さんがいても、
おかしくないと思います。ただ、いまは、非常に、
その数が少なくなっている……のが現実。

内容を読めば、いまの記事としてもおかしくない。
ま、人間というのは、50年や100年で、大きく変化することは、
あまりない……のでしょ。

CARBOYには、この種の記事が多く存在します。
藤本自身が興味を持っていたということが、
大きな要因だと思いますが、
それを待っている人達もいた……と思いたい(笑)

このときの写真は、いろいろと考えました。
カムシャフトのプロフィールを睨んでも、
そんなモノわかりはしません(笑)

でも、デフォルメした動きというか、
シークエンスを通して、なんとなく、
そういうイメージが形作られるというのは、
一面の真実でもあります。

この後、CARBOYの誌面には、
こういう類の写真が、数多く登場します。
その原点となったのが、このときかもしれません。

 



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↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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