ISKYのエド・イスケンドリアンに逢う!!

エド・イスケンドリアン(USA)


ISKYの生みの親
エド・イスケンドリアン
という『おっさん』に
28年ほど前に逢った!!

 

ISKYに行ったことがある。

CARBOYの取材で、例の渡辺くんと一緒だった。

で、そのときの記事が出てきたので、
てっきり自分が原稿を書いていると思った……が、
実際に記事を読んでみるとジェンジェン違う(笑)

「あ、そうか、オレは行っただけで、取材&原稿は渡辺くんだったんだ」
「そうか〜、オレはただただウロウロしてただけだったんだ」
そう、思い出した。
下記に、そのときの原稿を再録しておきますが……

エド・イスケンドリアンという『おっさん』とは、いろいろ話をした。
原稿内に
『突然、反対側のドアが開いて、
そこから汚いカッコをした
オジさんが現われた。』とあるのだが、

そこはトイレのドアで、
突然、反対側のドアが開いて、そこから汚いカッコをした
エド・イスケンドリアンという『おっさん』は、
ションベンを終了して、店に戻ったわけだが、
そのとき一緒にションベンをしていたわけであります。

で、便器に向かって開始しようと思ったときに、
「??????」
白い壁に殴り書きのように書かれていたのは、
バルタイ&最大リフト点を探っている状態のメモ書きだった。

それを見ながら「おっさんは、こんなとこでも、
思いついたらメモするヤツなんだな〜」と笑っていたら、
隣の便器に立ったのが、エド・イスケンドリアンという『おっさん』だった。

お互いにバツが悪い感じのまま、「これはあんたが書いたのか?」と聞くと
「そうだ。オレはいつでも、思いついたらどこでもメモするんだ(笑)」
「けったいなやっちゃな〜(笑)」

藤本的なエド・イスケンドリアン氏のファーストインプレッションというのは、
そういうものでありました。

その後、渡辺くんがインタビューしている横で、
しょうもないことばかり聞いた記憶がある。
そのなかで、一番印象的だったのは、
「これまで、いろんなレースとかで優勝したり、記録を残しているけど、
一番自慢なのは、どのレースだった?」と聞いたとき。

「オレの生まれた街では、街の外周を回るレースをやってたんだけど、
そのとき、オレが一番で、近所じゃ『最速エドッ!』って言われてたんだ!」

自慢げにそう言っていたエド・イスケンドリアンは、
「故郷の香川県じゃ『マッハ』と言われてたんだっ!」
と得意気だったRSヤマモトの山本さんと、一緒の『最速小僧』だった(笑)

ま、それは、それとして……この記事が掲載されたのは、
1992年だから、30年近く前のこと。
エド・イスケンドリアンという『おっさん』は、多分生きてないと……思うが、
案外しぶとかったりして……いや、失敬、失敬(笑)


ハイパフォーマンスメーカーを訪ねる!

ローラーロッカーアームやクロモリチューブラーブッシュロッドなど、
画期的なハイパフォーマンスパーツとともに、
日本では高性能なバルブスプリングメーカーとして、
イスキーの名前は有名である。
正式にはエト・イスケントリアン・レーシングカムズといって、
創設者であるエド・イスケントリアンは
レースなどにも自ら積控的に参加した革新的な
技術者(ホンネのスビートトライアルなとにも参加している)という。
つまり彼は親しみを込めた愛称として『イスキー』と呼ばれていたのである。

どうせLAまで来たのたから、イスキーへ行って
L型のバルブスリングでも買って帰るか?という
軽い気持ちでフリーウェイ101をガーデナに向けて南下した。

この力ーディという街は、ハイパピヒストン、カーニングハムロッズなど
日本でも知られたメーカーがある。
目的地の住所とトーマスガイドさえあれは、この住所を訪ねるのは比戦的簡単。
住所にある一番最初の数字が番地で、その番地は
1ブロックごとに通路の沿石や標識に記されている。
住所の番地の次にある地名はたいてい道路名なので、
その道路沿いのその部地を探せはいいのだ。

例えばイスキーの場合たと、
住所は16020HBROADWAYGARDENACA
地図でサウスフロートウェイ通りを探し、
その通り沿いの16920番地を探し当てれはいいのだ。
ブロードウェイアベニューとアラントラブールパードの
交差する角にイスキーはあった。

LAといえども郊外はまだまだ土地が広いので、
ビルを建てる必要がないのだろう、
1階建てのくせにやたら行きの広い建物である。

建物の中に入るとすぐカウンターがある。
ここでパーツを注文し、購入できるシステムらしい。
カウンターの上にはバルブスプリングテスターが置かれ、
壁にはイスキーがこれまでにスポンサートしてきた
レースカーの写真なとが飾られている。
また際にはショーケースがあって、
星型エンジンのシリンダーたとか、
妙に細長いコンロットだとか、
なんだかわけのわからないものが雑然と置かれている。

ホントはそっちのほうに興味があったのだが、
店の中をキョロキョロ見まわす東洋系の客(私のことである)を、
イスキーの従業員が不思議そうな目で見ているので、
とりあえずカウンターで
「ダッツンLタイプエンジンのバルブスプリング」を購入することにした。
単語をつなぎ合わせたたけの英語で、このバルブスプリングは
素晴らしいと誉めたたえると、向こうもまんきら悪い気もしないらしく、
「おまえは日本からきたのか?」などと質問してくる。

ついでだから、大仰に
「これを買うためにわさわさ日本からやってきたのに!」
というとそれしゃあということでステッカーを3枚くれた。

アメリカ国内での定価は、L型6気筒甲てスプリングセットが140ドル、
リテーナーがコトル。やはり日本で習うよりかなり安い。
「それはと日本で人気があるのなら、おまえが日本の
ディストリビューターをやらないか?」と言われた。

「もっとディスカウントしてくれるんだったらえないこともない」というと
「ほかに欲しいものはないのか」と言うので、わが愛車フェアレディSP310の
カムが欲しいといった。

カタログを指差し「これだな」と言うので、ただでくれるのかと思ったら、
20%ディスカウントしてくれるだけだった。
でも安いからおうと思ったのたが、結局そんな古いカムは
在庫もないし、今後も作る予定はないとのこと。
結局、ディストリビューターの話は保留となった。

ネクタイを締めたマネージャーとこんなやり取りをしていると、
突然、反対側のドアが開いて、そこから汚いカッコをした
オジさんが現われた。真っすぐ私のところに歩いてきて、
握手を求めている。てっさり掃除のおじさんと思った。
ちょっとたじろぎながらも理手をかわすと、
「マネージャーは「彼がエド・イスケンドリアンだ」と紹介してくれた。
どうやらSPの力ムの在庫を採しているときに、
変な東洋人が来ているぞ!と彼に伝えてくれたらしい。

よくよく見ると、本や写真で見たことのあるあの顔である。
葉巻をくわえなからも、ほころびたシャツを着ているところがいい。
感動しいの私は大幅に感動してしまった。

彼はトップシークレットルームたといいながら、
社長室に案内してくれた。トップシークレットだけに
カギだけは厳重に二重にかかっていたが、部屋の中は壮絶。
机の上には書類やら力ムやらバルブスプリングらが山と積まれ、
その山が崩れて足の踏み場もないほどだった。

イスキーのバルブスプリングはまったく新しい発想で作られている。
アウタースプリングとインナースブリングを密着させることで、
アウター・インナーそれぞれが持っている固有振動を
短いスパンで干渉させ、バネレートを抑えながらも
高いサーシンク限界を保っているのた。
こんな部屋だからこそ、こんな奇抜な発が生まれたような気もする。





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よろしかったら、お願いします。


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