周回レースとDragRACE
ふたつのジャンルを制する
稀有なドライバーがいた……
まずは、下の記事を見ていただきたいと思う。
これは、1984年に掲載されたもの。
それまで、筑波サーキットのチューニングカーレースで、
「ぶっちぎりで優勝して、ゴールラインを過ぎたら、
スピンターンするドライバーがいる……」とか、
「プライベーターだけど、めちゃ速い!」
そんな噂を撒き散らしていたのが、花塚選手だった。
ドリコンGPが開催されるようになってからは、
織戸選手を筆頭に、さまざまなドライバーが誌面に登場するようになった。
しかしながら、それ以前にドライバーとして登場する人間は、
それほど多くはなかったし、しかも、その人間が、何度も登場するという
ケースは、稀有だった。そして、その稀有な存在が、花塚芳美というドライバー。
筑波サーキットをホームコースにしていたものの、
当時熱いと評判だった中山サーキットに取材絡みで遠征をかけたり、
プライベートドライバーとしては、本当にスター的な存在だった。
そして……だ。
サーキットの周回レースだけではなく、
花塚選手の舞台はドラッグレースでも活躍を見せた。
CARBOY0→400mでの優勝もある。
ショップマシンと対抗して、惜しいレースを何度も演じた。
後に、プライベーターから「アートテック花塚」という
お店を開くことになったが、それからも、自分自身と
お客さんとがレースに参加していくというスタンスをとってきた。
花塚選手のドライビングというのは、
速さを追求するということはもちろんだが、
勝利への執念というものが、大きく作用している。
諦めない。その時点でのベストを追求する。
ま、どんなドライバーでも、そういうことは当たり前の
ことなんだとは思うが、それ以上のものを感じるわけだ。
ドラッグレースに関しては、JDDAが創設してから、
オフィシャルとして協力をし続けている。
だから、もう、いい歳であります(笑)
でも、記憶のなかの花塚芳美という存在は、
やっぱりスーパースターでしたね。
30年という歳月のなかで、取材したドライバーの数というのは、
指を折っても数え切れませんが、そのなかでも特に印象的なドライバーと
いう限定をするなら、間違いなくトップスリーに入ります。
2つのジャンルで活躍するドライバーというと、
その昔の「一粒で二度おいしいアートガレージAE86」の
落合選手を思い出すが(いまは、外車、それも高価な外車を扱ってる)、
活躍した期間を考えれば、花塚選手とは比較できない。
CARBOY誌をスキャニングし続けているうちに、
何度も登場する花塚選手の記事を、
下に掲載しました。
初回が1984年。そして、最後に掲載している伝説は1997年。
その年数から、当時を察していただきたいと思います。
取材協力
アートテック花塚
〒325-0026 栃木県那須塩原市上厚崎324-8
Tel0287-62-3218
|