白鳥雅人という伝説的……生活??

1991年9月


人生は4気筒の
幅さえあれば
生きていける!?


白鳥くん(といっても、30年ほど前のことなので、
現在は、責任ある職責を担う白鳥氏でありますが)の取材は、
渡辺くんが、ほとんどを行なっていた。
いまでは、山梨で自給自足の生活を行ない、
廃油でエンジンを動かしたり、
独自のライフスタイルを実践しているヒトであります。

当時、渡辺くんが、横浜近辺に住んでいるということが
白鳥くん取材を担当していた理由だが、
渡辺くん自身が、コツコツとSP311をベースに、
自身の手でモディファイを行なってきたこと、
S54Bのレストアを行なっていたこと、
そんなモロモロの理由があったことも事実。

二人の間で、どのような話があり、
どんな撮影手順を踏んでいたのかはわからないのだが、
出来上がってきた記事は、非常に面白かった。
白鳥くん自身が、独自のチューン哲学を持っていて、
実際に、そのようなライフスタイルを実現していたということも、
あると思うが、それに加えて、渡辺くんの独自の取材&原稿書きスタイルが、
うまくハマった組み合わせになったのだと思う。
藤本が担当していたら、もっと違ったものになっていただろうし、
下で紹介するような『白鳥節』は生まれなかったように思います(笑)

とまれ、白鳥くんの名言でもある
『人生は4気筒の幅さえあれば生きていける!?』は、
たぶん、渡辺くんが、ウンウンうなりながら、
ひねり出したものだと思うが、泥臭くて、
もひとつピンとこなくて……だけど、なんとなく、
結局は納得させられてしまう言葉となったんじゃないかと思う。

ま、ま、内部事情はそれくらいにして、
PTR(プライベートチューニングレポート)に、
投稿をしてくれていた白鳥くんの初取材バージョンを、
見ていただきたいと思います。

 



■ Human being Link ■


↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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