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ビルドSPLサニー

ビルドファクトリー(埼玉)

最高25回も走ったCBゼロヨン日本一決定戦
この過酷な戦いに11秒069で優勝した名物マシン
その後、TIME UPを重ねて、JAPAN DRAGの
主戦場を10秒台に導いていく……

涙なくしては語れない!? 
噂と幻のマシン&チューンが蘇る
CB伝説vol.8LEGEND of CARBOY

ビルドSPLサニー ---1983年---

                                         ©八重洲出版 

 

N2Oを噴射する2868ccのL型エンジンが
マークした11秒069の衝撃は大きかった!!

500回のタイムアタック。
これが1983年行なわれた
「CBゼロヨン日本一決定戦」の走行回数だった。

それまで、谷田部のテストコースを使って
繰り返し行なわれてきたゼロヨンでは、
いろんな『言い訳』が存在した。

ミッションが壊れた、エンジンが吹けない、
セッティングの時間が足りない、スペアパーツを
持っていても交換する時間がない

……そんなことなら、一日谷田部を借り切って、
思う存分ゼロヨンをやってみようじゃありませんか!!と、
メチャメチャ短絡的な発想でした。
だけど、その意気込みとガッツが、
このビルドSPLサニーのタイムにつながった
のだから、結果オーライでありました。

エントリー台数は30台以上。1台の最高タイム
トライアル回数が25回。エンジン積み換え1台。
ミッション交換2台……参加ショップはマウント、
Mレーシング、東京日仏レーシング、トラスト、
ファクター、ライズ、吉田レーシング、ATS BM、
ユアーズ、名古屋デイトナ、メカニカル、
ウラタレーシング、JUNオートメカニックなどなど。

現在ではなくなってしまったショップもあるし、
現役バリバリのチューナーもいる。

そんななかで、ダントツの走りを見せてくれたのが、
このビルドSPLサニーなのだ。

そして、このマシンをドライブするのは、
現在ではドラッグ界の頂点を突っ走る川崎哲哉選手だ。

いま考えてみれば、役者はバッチリそろっていたわけだ。
このビルドSPLサニーは、半年後に自己記録を
更新する10秒688というタイムをマークする
ことになるのだが、そのタイムがどれだけ
すごいものだったかは、CBゼロヨンの
メカチューンクラスで、12年もの間
トップタイムだったことでも想像がつくだろう。

そのマシンが完成したのは、
「CBゼロヨン日本一決定戦」の前夜。

TS仕様のサニーをベースにして、
L28改2868ccエンジンに、N2Oシステムを
ドッキング。700kgの車重、N2Oなしでの
パワーは260馬力、240Z用ミッションに3.7デフ、
フロントがサニーのレース用、リヤはZ用を
加工したものにM&Hレースマスターという
ドラッグタイヤを装着していたのだ。

以前には、RE雨宮自動車のシャンテが
存在したが、ドラッグマシンとして作られた
なかでは、サニーにL型という組み合わせは初登場。

これ以降、サニーとL型の組み合わせを
採用するマシンが多くなったのは、
このビルドSPLサニーの影響が大きいだろう。

チューナーとしての野谷さんと、ドライバーと
しての川崎選手のコンビは、これをキッカケに、
どんどんとドラッグレースにのめり込んでいく。
現在では川崎選手はHKSの契約ドライバーと
なっているが、常にドラッグシーンの
トップレベルにいることには違いない。

リヤをクイッと持ち上げるようにして
加速していく様子は、それまでのマシンが
沈み込むスタート姿勢だったのとは対照的で、
ドラッグマシン用のサスペンションの
セッティングに大きな転機を与えた。

やっぱり……すごいマシンだったんだと
……いまになってそう思う。

 

 

     ◇          ◇            ◇ 

 


その後、ビルドSPLサニーは、進化を続け、
谷田部で10秒688をマークする。

CARBOYでは、その心臓部を完全分解取材。
LD28ブロックを使った独自のL型チューニングを
克明に公表した。のみならず、シャシーダイナモに
マシンをセットして、どのような出力が出ているのか?

そこまで追跡をした。優勝するということは、
そういうことなんだと思う。

1位と2位の差が、たとえ100分の1秒であっても、
勝者と敗者は明確に『差別』されてしまう。

いま、あらためて、過去のリザルトを見ていると、
本当にそう思う。一つのイベント、レースがあって、
その勝者には、インタビューに始まって、追跡取材や
追加取材、また、新たなことを始めようとしたら、
その取材……と、連続して取材攻勢をかけるのが、
雑誌屋というものの習性である。

その陰で、唇を噛み締めている存在があるということを、
スッカリコンッ!と忘れてしまっているのが、雑誌屋なのだ。

ちなみに、当時のCARBOYゼロヨンでは、下の写真に
写っているSEIKOの機械を使っていた。マイクロスイッチを
セットして、ヨーイドン……であります。

いまのドラッグシーンのスタートとは、ずいぶん違っていたのは
ご愛嬌というべきか、なんというべきか(笑)

 

 

 

 



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