松本晴彦物語 その2 サーキットCHARANGE編

松本晴彦(群馬)

CARBOY1996年1月に掲載された、
松本晴彦 物語2
サーキットCHARANGE編。

正丸峠出身のレーシングドライバー松本晴彦。
走り屋からレースの世界にステップアップ
していく様子を、CARBOYが追跡。
普通ならアクセルを抜くそれが当然の
処置なのだだけど、晴ちゃんは、
「イケる!」と踏んでしまう!!
その伝説と現実のイケイケ峠SPL!!です


※以下、当時のまま掲載させていただきますの※
※価格、仕様等は変更されている可能性が大です)※

©八重洲出版 


正丸峠でムーンサルト転倒SPL伝説を作った(?)走り屋「松本晴彦」が、
その全開場所をサーキットに移して、レーシングドライバーとしての第一歩を
踏み出した。フレッシュマンレースを皮切りに、徐々にステップアップする!!る!!

   
峠で誰よりも速く走りたい
全国各地の走り屋はそう思っている
だけど、本当に他人よりも速く
誰よりも速く走るということは
なかなか難しいものなのだ

埼玉県にある超トリッキーなコース
正丸峠を攻める走り屋のなかに
とんでもなく速いヤツがいる……
そんなウワサの走り屋がレースでも
バカッ速の伝説を作り始めている!!

峠で磨いたテクニックが
サーキットに通用するか?

正丸峠で毎晩走っていた頃の松本は、クルマに乗ること、
ドリフトすること、そしてなによりもスピードを求めていた。
誰よりも速く。他の誰よりも速いスピードでコーナーを抜ける。

それが目標だった。

そして、その目標の向こうには、「レース」という世界を、
いつも考えていた。イケイケのドライビングをしている
ように見えても、松本の頭のなかにあるのは、
レーシングカーを駆って、メインストレート、S字、
タイトベンド、最終コーナーを抜けていく自分のイメージがあった。

速く走ることだけを考えて製作されたレーシングカー、
100分の1秒を争って、第1コーナーに進入していく
レーシングドライバーの集団。そして、そのなかから
トップグループが形成され、そのなかで激しいバトルを
繰り返しながら、トップドライバーが決定する。

そんな世界を自分の世界として考えていたから、
正丸峠を攻めながら、楽しさだけじゃない走り、スピードを求めていたわけだ。

ただし、レーシングドライバーになるためには、
いろいろなものが必要になる。単純な速さだけじゃダメなのだ。
他人よりちょっとばかり速いだけじゃ、レーシングドライバーにはなれないのだ。

レースの世界は、最終的には速さが問題になるのだが、
そこに行き着くまでには、様々な要因が複雑に絡まりあっている。

運もある。コネもある。そしてお金の問題もでかい。
レーシングマシンを作り、レースにエントリーし、
サーキットで練習し……なにをするにも、先立つものはお金だ。

お金がなくても、運がよかったり、いいスポンサーと巡り合ったり、
コネが強力だったり、いろいろなアプローチがあるにはある。

だけど松本にはなにも……なかった。本当に、なにもなかった。
正丸峠を走り込んでいたときは、寝るところも食べるところも、
そんなものはなにもいらなかった。アルバイトや手伝いを
して、少しばかりお金を貰ったり、食べ物やガソリンを貰えれば、
それだけで正丸峠に通うことができた。

そして、毎晩、毎晩、正丸峠を攻めること、
自分のテクニックを磨くことで、
アッというまに時間が過ぎていった。

だが、サーキットを走ろうと思ったら、そういうわけにはいかない。
まず、レーシングマシンを作る必要がある。
そしてサーキットのスポーツ走行の料金、移動の資金……。

松本は、その資金稼ぎのために、実家のある高崎市に戻り、
板金屋さんを始めた。これまで続かなかった仕事、
走りを優先していた生活から、一転して走りのために、
レースのためにしっかりとした仕事、
一定の収入がある仕事をしなくちゃと思ったからだ。




雨宮勇美 RE雨宮自動車代表
「彼は口数が少ない……んだよね。でも、すごい努力家だよ。
負けず嫌いだけど、雨でもクラッシュはないし、安定した
走りをする。フレッシュマン時代の成績を見て、乗って
もらうことにしたんだけど、いい部分をいっぱい持ってるよ」
という雨さんだ。
まだプロドライバーじゃないけど、なりつつある。
そうじゃないかな?と思っている。データロガーで
自分の悪い部分を発見するとすぐに直すところも、
雨さんが松本晴彦をかっている部分。とにかく来年もガンバレ!!

竹内浩典 GT選手権同僚ドライバー
「いい意味でも悪い意味でもマジメですね。
GT選手権みたいに、いろんなサーキットをまわる
ときには、ポッと行ったところでタイムを出せる
柔軟性が必要になってくると思います。このあたりが
変わってくれば、敵にまわしたくないドライバーに
なるでしょうね。タイヤの使い方が上手くなれば、
もっとタイムが出るはずです」というのは、
1995年度の同僚ドライバー竹内選手だ。
次のシーズンは違うチームで見えることになるかも
しれないが、松本にはいろんなことを伝授してくれた。

自分たちで作ったマシンで
フレッシュマン参戦開始!

松本は、1989年から富士のフレッシュマンレースに
エントリーした。ベース車両は、解体屋さんから
調達してきたAE86。それを正丸峠の仲間たちと作り上げた。

スピンスポット時代の仲間も、松本のレースサポートを
してくれた。勝つためのクルマ、抜けるAE86。
そんなクルマを、ああでもない、こうでもないと言いながら作った。

エントリーした最初の年は、4戦のエントリーだった。
デビュー戦は予選34位。決勝が20位。10台以上の
マシンを抜いたが、まだまだその前に19台のマシンがいた。

でも、富士を走ってみて、いけそうな感触だけは持っていた。
正丸峠で鍛えたドライビング&ドリフトテクニックで、
抜ける、ホントに抜ける……そう思った。

「自分では、そうは思わないんですけど、みんなが笑うんです。
極端な前傾姿勢だって。普通のドライビングポジションの
はずなんですけど、写真を見せられると、やっぱり
ステアリングにヘルメットがくっつきそうなほど頭が傾いているんです」

ギャラリーが爆笑した前傾姿勢のドライバーが駆るAE86は、
数回のエントリー回数を数え始めた頃からそのブッチギリの
速さで知られるようになってきた。

1990年の富士フレッシュマンレースは、第1戦から
ポール・ツウ・フィニッシュの優勝から始まった。
第2戦は予選9位から猛烈に追い上げ、前にいるマシンを
すべて抜き去っての優勝。その勢いで第3戦も勝って3連勝
……前傾姿勢のドライバーは、アッというまに
シリーズポイントのトップに立った。

 

ブッチギリで3連勝した
だけどそのあとが勝てない??

「けっこういけるという感触はあったんですけど、
本当にいけたっていうか……でも、それからが……」

ベース車両を変えたのだ。最初の解体車は、フロント部が
グッチャリいってたのを直したものだった。これじゃダメ
なんじゃないか?ということで事故歴のないボディをベースにして、
もう一度作り直したら……どうしてだか勝てなくなって
しまったのだ。クルマ作り、レーシングカー製作というものが、
よくわかっていなかったのだろう。

AE86のフレッシュマンが終了し、次のクルマを
どうしようか?と迷った末に、RXー7にしたのは、
フレッシュマンのカテゴリーのなかでは、RXー7の速度域が
一番高かったからだ。自分で作ったマシンに、少しずつ
でき始めた知り合いが、力を貸してくれるようになってきた。

レースの戦績も、常に上位に顔を出し、ブリッツカラーの
RX-7は1992年度は3戦優勝。AE86と違って、RX-7は
ラフに扱うことができない。クイックなのだ。

第4戦でコースアウトさえしなければ、この年の
シリーズチャンピオンは確実だったはず。

ブリッツカラーのRX-7でフレッシュマンを戦った松本は、
これまでの戦績やドライビングが、徐々に認められてきて、
1993年からトラストMR2に乗ることになった。

金もコネもなかった正丸峠の走り屋松本晴彦に、
ちょっとばかり運が巡ってきたというわけだ。

「このチャンスを逃がしたくない。絶対に勝つんだ!」
イケイケだった松本も、次第に頭を使った走りができるようになっていた。

結果は……後ろのページの戦績表を見ていただければ
一目瞭然だが、8戦中7戦優勝。ブッチギリのシリーズチャンピオンを獲得。

次第に勢いに乗る松本
走れば勝つという確信??

トラストからの紹介で、1994年から、RE雨宮自動車の
ユーノスロードスターに乗ることになる。

このときも、8戦中5戦優勝。途中でCDIトラブルや
エンジントラブル等がなければ、前のトラスト
MR2と同等の成績が残せただろう。

正丸峠を出発点に、レーシングドライバーになりたいと
思い続けてきた松本は、フレッシュマンレースという
カテゴリーでは、負ける気がしないようになった。

走り方は次第に変わってくる。AE86のころは、
力でねじ伏せていたマシンが、RXー7になってからは
同じやり方では走れないことに気がついた。MR2、
ロードスターとどんどん体制が整っているチームに
お世話になって、ドライビングに専念できるようになると、
自分自身でも不思議なくらい勝てるようになってきたのだ。

「松本くんはね、いいんだよ。絶対にオレは速いんだっ!とか、
そういうこと言わないし。サーキットで会うと、
いつも手が塗料で汚れていて汚いんだよね。もちろん、
洗ってはいるんだけど、塗料ってのは、なかなか落ちないんだ。
必死で仕事して、レースが始まったら、
ビシッと走る……そういうの、好きなんだよ」

チームのオーナーであり、走り屋としての先輩であり、
そして板金塗装の先輩でもある雨さんの言葉だ。

そして、この言葉を聞いて、CBも応援したくなった。
ホントのことだ。ほんのちょっとしたひと言だけど、
ストリートの走り屋出身、しかもスピードをどこまでも
追求したいヤツ。そういうヤツは放っておけない気になってしまうのだ。

1995年度は、みんなも知っているとおり、
RE雨宮自動車のFD3Sに乗って、GT選手権のGT2クラスにエントリーした。

レーシングドライバーとしては先輩になる竹内浩典選手と
チームを組んで、1年間の成績は5戦エントリー中優勝2回、
準優勝1回。第5戦のリタイヤさえなければ、シリーズ
チャンピオンも手の届くところにあった。

もちろん、これは松本の成績というよりも、
竹内選手の成績に負うところがほとんど。

メカニック、雨さん、そして竹内選手の足を
引っ張らないように……そう考えてきた1995年度の
松本晴彦だった。フレッシュマンレースとは
ちょっとばかり違う世界に足を踏み入れた最初の年。
その結果はよくても、自分の力じゃない。

そのことを一番知っているのは、松本本人だろう。

「まだ、タイヤの使い方が下手なんです。竹内選手に
教わることばっかりです。ブレーキの残し方とか、
知らないサーキットでのセッティングとか……いっぱいあります」




ノーマル改パーツが
ギッシリの雨宮FD3S

正丸峠では、2回転半という伝説のムーンサルトを
演じた松本晴彦だが、GT選手権にエントリーする
ようになってから、いや、トラストMR2に乗っていた頃から、
次第にクルマを壊さないようになってきた。

自分で作ったクルマでレースをしていたときとは違って、
いろんな人間がレーシングマシンに関わっていると
いうのが、よくわかってきたからだ。

マシンを製作するメカニック、チームのオーナー、
エンジンのチューナー、そして……同僚。

ここで、自分ひとりのイケイケでクルマを壊したら、
レースにはならない。だから、雨の日でも、
コンディションが悪くても、できるだけクルマを
壊さないように、そしてそのうえで速く走れるように。

松本は少しずつ変わってきた。

GT2クラスで優勝争いをできたのは、自分の実力じゃない。
竹内選手のドライビング、メカニックの能力、
そしてチームが一生懸命取り組んできた結果だ。

そう思うようになった松本が、1年間乗ってきたマシンが、
上の写真にあるRE雨宮SuperG7だ。

そして、このマシンは、レーシングカーというよりも、
ストリートマシンの延長にある作りがなされている。
ほとんどのパーツがノーマル加工、あるいは、
一般市販のアフターマーケットパーツで作られている。

もちろん、サスペンションのジオメトリー等も、
一般市販車両と同じままだ。RE雨宮自動車は、
これまでのレースエントリー車両は、すべて同じ考え方で作ってきた。

つまり、タイヤ&ホイール、安全装置等を除いては、
ボクらにとってはおなじみのストリートチューニングマシンなのだ。

エンジンはRE雨宮で製作される13B3プラグペリフェラルポート仕様、
内部に使用されているパーツは全部FD3S用のノーマルパーツだ。
これをモーテックでコントロールし、トラスト製50φ
EXマニホールド&80φステンレスマフラーを装着している。

サスペンションだって、アイバッハスプリングに
ビルシュタインダンパーを使用している。
ボディも一般市販用のスリークライトキットを使っている。
ステッカーやカラーリングを除けば、どこにでもいる
チューニングFD3Sと、それほど変わるところはない。

来年はどうするのか?
これからどうなるのか?

そして、このマシンで、優勝を争える……ということは、
メカニックのセットアップ能力、ドライバーのセッティング&
ドライビング能力が優れているということなのだ。

だが、残念なことに、松本はまだまだ、このマシンの優勝争いの
原動力には成りきれていない。

「まだまだツメが甘いんです。低速コーナーに入るときに、
車速を落としすぎてしまうというか、本当ならクリップまで
ブレーキを残しながらスピードも落としていくんですけど、
その前にブレーキングが終わってしまっていて、
ついついアクセルでコントロールしようとする癖が、
なかなか抜けないんです」

悩む松本、である。レース前には、自分でダメな部分を修整しようと、
何度も何度もシュミレーションを繰り返してみる。
実際に走るのと同じようなタイムで、シフト、ブレーキング、
ステアリングのきっかけ、ライバルマシンがいるとしたら
……いろんなケースを想定しながら、目をつぶったまま
シュミレーションしてみる。だが、現実はなかなか思い通りにはいかない。

そういえば、正丸峠の頂上でも、AE86をジャッキアップして、
ステアリング操作のシュミレーションを繰り返していた。
フッとそんなことを思うこともある。

あの頃と現在では、ずいぶんといろんなことが違ってきている。
周囲も違う。環境も違う。自分自身だって変わってきている。

だけど、速く走りたい。誰よりもハイスピードでコーナーを
抜けたいという気持ちは、変わるどころか、あの時以上に強くなっている!!

 

RE雨宮SuperG7

■ENGINE
13B型654×2 300ps/9000rpm 28.0kgm/7800rpm 
雨宮製3プラグペリフェラル加工 他FD3S13B用ノーマルパーツ 
MoTeC製データロガー付インジェクションコントロール 
FC3S用550×4インジェクター インダクションボックス 
スーパーコード NGK#13沿面×2 #11.5×4プラグ 
コスモ20B用加工アルミラジエター オイルキャッチタンク 
スポーツキットオイルクーラー トラスト製デフクーラー、
T/Mオイルクーラー、50φエキゾーストマニホールド、
80φステンレスマフラー

■POWERTRAIN
RBS社製MDRー1T/M RE雨宮ツインプレートPRO-Rクラッチ、
LSD デフギヤ比は、コースによって3.9/4.1/4.3を使い分ける

■BODY
ADワイドボディキットR仕様(一般市販と同様のもの)
スリークライトキット FRP左右ドア、リヤゲート 
可変リアウイング アクリル製リアウインドー、サイドウインドー

■INTERIOR
RE雨宮フラットボトムステアリング ブリッツ製ケブラー
バケットシート シンプソンシートベルト 
水温/油温/燃圧/油圧/タコメーター

■SUSPENSION
アイバッハ製F22K/R22Kスプリング ビルシュタイン特製ダンパー ブレンボブレーキ

■TIRE&WHEEL
ADVAN F250/640-17/R270/640-17 デイモンド製リーガマスターF9J-17/R10.85J-17


松本晴彦レース戦績


年度 レースカテゴリー サーキット マシン 予選 決勝
1989 フレッシュマン 第 3 戦 富士 AE86 34 位 20位
第 5 戦 富士 AE86 9 位 4位
第 6 戦 富士 AE86 6 位 2位
第 8 戦 富士 AE86 5 位 リタイヤ
1990 フレッシュマン 第 1 戦 富士 AE86 1 位 優勝
第 2 戦 富士 AE86 9 位 優勝
第 3 戦 富士 AE86 3 位 優勝
第 4 戦 富士 AE86 2 位 2位
第 5 戦 富士 AE86 9 位 3位
第 6 戦 富士 AE86 12 位 5位
第 7 戦 富士 AE86 14 位 3位
   シリーズ3位 第 8 戦 富士 AE86 1 位 3位
1991 フレッシュマン 第 4 戦 富士 AE86 3 位 3位
第 5 戦 富士 RX-7 3 位 3位
第 6 戦 富士 RX-7 10 位 8位
第 7 戦 富士 RX-7 6 位 5位
第 8 戦 富士 RX-7 3 位 3位
1992 フレッシュマン 第 1 戦 富士 RX-7 5 位 2位
第 2 戦 富士 RX-7 1 位 優勝
第 3 戦 富士 RX-7 6 位 6位
第 4 戦 富士 RX-7 2 位 リタイヤ
第 5 戦 富士 RX-7 1 位 優勝
第 6 戦 富士 RX-7 2 位 4位
第 7 戦 富士 RX-7 2 位 2位
   シリーズ3位 第 8 戦 富士 RX-7 1 位 優勝
フレッシュマン 第 7 戦 富士 MR2 2 位 リタイヤ
第 8 戦 富士 MR2 2 位 2位
1993 フレッシュマン 第 1 戦 富士 MR2 2 位 優勝
第 2 戦 富士 MR2 1 位 優勝
第 3 戦 富士 MR2 1 位 優勝
第 4 戦 富士 MR2 1 位 優勝
第 5 戦 富士 MR2 1 位 18位
第 6 戦 富士 MR2 1 位 優勝
第 7 戦 富士 MR2 1 位 優勝
  シリーズチャンピオン 第 8 戦 富士 MR2 7 位 優勝
1994 フレッシュマン 第 1 戦 富士 ロードスター 2 位 優勝
第 2 戦 富士 ロードスター 3 位 優勝
第 3 戦 富士 ロードスター 2 位 優勝
第 4 戦 富士 ロードスター 4 位 20位
第 5 戦 富士 ロードスター 2 位 3位
第 6 戦 富士 ロードスター 1 位 2位
第 7 戦 富士 ロードスター 1 位 優勝
  シリーズチャンピオン 第 8 戦 富士 ロードスター 4 位 優勝
JSSシリーズ 第 3 戦 エビス FC3S 2 位 優勝
JSSシリーズ 第 2 戦 富士 FC3S 2 位 2位
第 3 戦 富士 FC3S 5 位 5位
   シリーズ2位 第 4 戦 富士 FC3S 6 位 3位
1995 GT選手権 第 2 戦 富士 FD3S 2 位 完走
 GT2クラス 第 3 戦 ハイランド FD3S 2 位 優勝
第 4 戦 富士 FD3S 1 位 2位
第 5 戦 菅生 FD3S 1 位 リタイヤ
   シリーズ2位 第 6 戦 MINE FD3S 1 位 優勝


 



現在は、86BRZレースに参戦中

松本板金
〒群馬県高崎市八幡原町351-5

Tel:0273-46-1994

 



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