松本晴彦物語 その1峠の走り屋編

松本晴彦(群馬)

CARBOY1995年11月に掲載された、松本晴彦 物語1。

 正丸峠出身のレーシングドライバー松本晴彦。走り屋からレースの世界にステップアップしていく様子を、CARBOYが追跡。普通ならアクセルを抜くそれが当然の処置なのだだけど、晴ちゃんは、
「イケる!」と踏んでしまう!!その伝説と現実のイケイケ峠SPL!!です

    ※以下、当時のまま掲載させていただきますの※
    ※価格、仕様等は変更されている可能性が大です)※


©八重洲出版 


「ドリフトのためのドリフトじゃなく
速さのためのドリフトを求めたい!!」

正丸峠を超過激に攻める白いAE86

《峠の走り屋編》

   
峠で誰よりも速く走りたい
全国各地の走り屋はそう思っている
だけど、本当に他人よりも速く
誰よりも速く走るということは
なかなか難しいものなのだ

埼玉県にある超トリッキーなコース
正丸峠を攻める走り屋のなかに
とんでもなく速いヤツがいる……
そんなウワサの走り屋がレースでも
バカッ速の伝説を作り始めている!!



スピードに取り憑かれた
走り屋たちの全開伝説!!

 ビデオに正丸峠を攻める走り屋が次々とドリフトしながら
現われては消え、消えれば次のクルマが登場する。
CARBOY編集部には、いろんな峠の実写ビデオ等がいっぱい
送られてくる。そんななかで、ちょっと気になるクルマがいたり、
過激な走りを見たりすると、編集者根性がグググッと刺激されてしまうのだ。

それをキッカケに、取材を申し込んだり、イベントに来ないか?
と誘ったり、いろいろなパターンで、注目マシン&チームに接触をしていくことがある。

だが、今回はちょっとばかり毛色が違う。正丸峠のビデオを見ていたのも、
別の仕事でのことだった。全国の峠や高速道路に潜む「走り」の
伝説を、一冊の本に残しておこう……そんな趣旨で始まった
「走り屋バトル伝説」(三推社刊)という本のために、
いろいろな走り屋と会い、峠のタイムトライアル時代、
最高速レースなどの話を、取材していたのだが、
そのうちのひとつのデータ集めのためにビデオを借り出して見ていたのだ。

この「走り屋バトル伝説」の取材を通じて、
強烈に感じたことがひとつある。

CARBOYが火付け役になっているのだが、
ドリフトというものが、徐々にその姿を変えてきているということだ。

ドリコンGPを通じて、いろいろなドリフト技が登場してきた。
サイドドリ、Fドリ、クロスドリ、超接近ドリ、オーバーテイク
……それなりに凄さと楽しさがあって、ドリフトというものの
幅がドンドン広がってくる感触を受けている。

ただし、だ。ドリコンのときにいつも言っていることなのだが、
ドリフトというのは、速く走りたい、他人よりもスピード領域を
上げたい、ライバルを抜きたいという《熱い気持ち》が、
その下敷きにあるのだ。速く走るために、ライバルよりも
アクセルを開け、流れ出すマシンをコントロール下に置く……。

これがドリフトの暗黙の了解事項だったはずなのだ。
だけど、いつのまにか、ドリフトは見せるため、楽しむためのものに変わってきた。

誤解して欲しくないのだが、これが悪いといっているのではない。
クルマの楽しみには、いろんなベクトルがあって当然だと思うし、
自分が楽しいこと、興味があることをやっていけばいいと思う。

だけど、本当の走り屋というか、スピードに取り憑かれた
オトコ達というのは、どういうわけだか、メチャメチャにかっこいいのだ。

最近、峠に行くと、ドリフト向きのコーナーで練習している
チームの姿をよく見かける。3つくらいのコーナーを何度も
何度も繰り返しドリフトしながら、みんなであーでもない
こーでもないと楽しくやっていることが多い。

「昔はこんなじゃなかった」

そういうふうに言う走り屋も多い。30代以上の走り屋は、
ドリフトブームを苦々しく思っているという話も聞こえてくる。
もちろん、昔ばかりがよかったわけではない。悪いヤツだって、
どうしようもないヤツだって、いつの時代にもいるものなのだ。

だけど、峠のふもとから頂上までのタイムを競い、
誰にも真似のできない走りでカッ飛んでいるドライバーを、
かっこいいと思うか、そうでもないと感じるか。

このあたりがひとつの境界線になると思う。
CBは、スピードに取り憑かれたオトコ達のことは、
メチャメチャかっこいいと思っている。

エンジンをチューンするのも、サスペンションを強化するのも、
CBがやっていることは、すべてスピードアップのためなのだ。
いろんな楽しみ方がある。人によって価値観も違う。
だけど、CBにとって、スピードだけはどうしても
外せない必須の価値観なのだ。

ドリフトのためのドリフトと
速く走るためのドリフトの差!?

危険は承知の上で、首都高を攻めるランナーたちに
引かれるのも、その一点なのだ。スピードを追求すること、
他人よりも速く走ること、昨日の自分よりも速く走ること
……これが、チューニングの目標であり、過程であり、結果なのだ。

いろんな世代の走り屋と会い、それぞれのスピードに
対する思いを取材しているうちに、その思いはドンドン
強固になっていった。実際問題として、現在の峠で、
速さを徹底的に追求している走り屋はどれくらいいるのか?
と考えると、10年前とは比較にならないようだ。

昔は、クルマもひどかった。サスペンションだって
メタメタだった。ブレーキの効きも甘い。シャシーはメロメロ。
いまから考えたら、恐怖感さえ覚えるほどの仕様で、
当時の走り屋たちは全開していた……ドリコンもいい。
でもそれ以外のジャンルがあるということを、
若いCB野郎に知ってもらいたいと思う。

ちょっとばかり脱線したが、話を正丸峠のビデオに戻そう。

正丸峠は、埼玉にある峠だが、道幅は狭く、ドライブしていても、
なかなかリズムに乗れない(?)コースとしても有名である。
そして、その正丸峠を攻める走り屋たちは、
正味1kmくらいの距離を一晩中攻めていた。

10年近く前の話だから、AE86がピチピチの現役で、
走り屋たちのクルマのほとんどがAE86だった。

よく見ないとわからないほど似ているAE86が次々と
現われては消える映像を見ているうちに、おかしなことに気がついた。
いっぱいいるAE86のなかに、1台だけ排気音の違うAE86がいるのだ。

同じようなクルマが走っているので、最初はわからなかったのだが、
何度も見返しているうちに、「このAE86だ!」ということがわかってきた。

ビデオは、CBでもおなじみになりつつある「SPIN SPOT」の
加藤さんが貸してくれたもので、そのAE86について聞いてみた。
エンジンのチューニングが違うのか、あるいは他の原因か?

それに対しての答えはこうだった。
「同じですよ。エンジンはほとんどノーマル。
でも回ってるんです。同じコースを走っていても、
スピード領域が違うんです。アクセルは踏みっぱなしだし、
立ち上がりも、進入も、コーナリングスピードも、全部速いんですよ」

これが晴ちゃんのAE86だった。




●正丸仲間の証言
加藤信夫 「SPIN SPOT」ドリフト部門
晴ちゃんといえば、どうしても2回転半の
ムーンサルトでしょうね。正丸峠の休憩所の
コースで、クリッピング手前で振り返して、
そのままドリフト状態で段差にひっかかって、
そのまま1回転、2回転、そして半回転して
ようやくストップです。とにかく、アクセルの
踏み方がハンパじゃありませんから、いくときは
デカイですね。ずっと一緒に走ってきたから、
晴ちゃんの速さというのは体感してますよ。
とにかくアクセル抜かないんですよ。
尾登真介「SPIN SPOT」お笑い部門
晴ちゃんといえば、どうしても国1の大クラッシュ
でしょう。長尾峠に行く途中に、国1を通って
いったんだけど、路面が濡れていてもなんでも、
思いっきり流していくもんで、真横になった
状態のまま対向車とクラッシュ。フェンダーが
全部へっこんでしまっているのに「ヘヘッ、
やっちゃった」です。どこの峠に行っても、
最初は様子見ていこうっていってるのに、
最初からイキナリ全開で2車線使って
……やっぱりこれが晴ちゃんです。

いつでもイケイケ状態の
松本流ドラテク理論??

松本晴彦……現在は、RE雨宮自動車のFD3Sを駆って、
GT選手権のクラス2にエントリーしているレーシングドライバーである。

自分のAE86でフレッシュマンレースにエントリーし、
次第にその速さが知られていって、少しずつマシンの
ステップアップを図っている若手ドライバーのひとりでもある。

GT選手権には、CBでもおなじみの山岸豪選手もエントリーしている。

その松本晴彦選手、いや、やっぱり走り屋の仲間が
呼ぶように「晴ちゃん」と言ったほうが、彼に合っている。

これから、晴ちゃんの話をしようと思う。スピードに取り憑かれ、
誰よりも速く、そして昨日の自分より速く走りたいと
強烈に思っている走り屋連中の代表選手として晴ちゃんの話をしようと思う。

晴ちゃんは、加藤さんがリーダー的な存在となっている
正丸峠の走り屋集団である「SPIN SPOT」の一員だ。
CB誌上に登場する回数が、最近激増した
《唄って踊れるイラストレーター》尾登真介も、
なにを隠そう「SPIN SPOT」のメンバーなのだ。

3人は、正丸峠で出会い、それからずっとお互いの走りを見て、
酒を飲んで、そして一緒にフレッシュマンレースにエントリーしてきた。

だが、それぞれにちょっとずつ色合いというか、走りの指向が違っている。

ひとことで言うなら、加藤さんはドリフト追求部門、
尾登はお笑い部門、そして晴ちゃんは徹底的なスピード追求部門となる。
しかも、練習に次ぐ練習、特訓に次ぐ特訓を繰り返して速くなった。

「ひどいことをしましたよ。速く走るために、
思いどおりにドリフトができるようになるために、
両手をステアリングにガムテープで縛って走ったり、
クルマをジャッキアップして、コースを攻めるイ
メージトレーニングをしながらステアリングを切り、
カウンターステアを当て、そしてアクセル、
ブレーキングとすべての動きを煮詰めていくんです」

加藤さんが笑いながら話す。正丸峠という特殊な峠を
攻めるためには、クルマをガードレールや山肌、
あるいは縁石ギリギリまで使って走らなければ、
絶対に速く走れない。コーナーの曲率が小さく、
普通の走り方をしていたらスピードなんて全然乗ってこない。
クルマを右に、そして左に振りまわしながら、
道路をいっぱいに使って走らなければならない。

晴ちゃんは、どちらかというと無口だ。

特に、初対面の場合は普段よりも口が重くなる。
加藤さんと尾登の話にウンウンとうなづきながら、
ニコニコしていることが多い。

「始めて正丸に行ったときかな、それまではずっと
長尾峠を攻めていたし、それなりの走りをしていたもんで、
いろんな峠に行っても、ま、まあまあって感じだったけど、
正丸で晴ちゃんの走りを見たときはビックリしたね。
うまく言えないんだけど、次元が違うっていうか、
同じAE86なのに、速さが全然違うことにビックリ
したんですよ。ショックだったですよ。あの速さは……」 

唄って踊れるイラストレーター尾登真介は、当時を振り返っていう。

「一緒に走りにいっても、最初はそれぞれの峠の
掟みたいなものがあるから、様子見ながら流して、
徐々にスピードを上げていこう……そういってたはずなのに、
晴ちゃんは関係なし。最初から車線全部使って全開ですもん。
でも、それが晴ちゃんなんですけど、ね」

正丸の伝説となっている
魔のムーンサルト2回転半??

「やっぱり、顔はニコニコしてるけど、どっかの回線が
ショートしてるんでしょ。イケイケですもん。どこでも、
いつでも全開。普通の走り屋だったら、ちょっとやばいな?
とか、どうかな?ってときには、誰だってアクセルは緩めるし、
様子見ながらいくはずなんですけど、晴ちゃんは別。
速いのも速いけど、いつでもイケイケ状態で
いってしまうもんだから、本当にイッてしまったときは大変」

「そうそう、ムーンサルトでしょ」

「ウン、あの2回転半ムーンサルト。あんなの、
誰もできないよ。晴ちゃんは、控えるとか、
慎重になるとか、そういうことが全くないから
……でも、あれはすごかった。クルマがクリッピングに
付くのが早いなって思ってたら、いきなりゴロンゴロンッて
転がっちゃうんだもん。ちょうど2回転半して、
半回転分だけ戻ったから、たいしたことないのかな?
と思ってたら、ピラーが全部ダメ。完璧に伝説……だよね」

「アレもあったよ」

「アレ??」

「そう、アレ。奥さんが妊娠しているときだって、
全開でいって思いっきり当たったこともあったじゃない。
晴ちゃんの場合、そういうこと関係ないのかな?」

加藤&尾登コンビの話は容赦がない。
晴ちゃんはといえば、ニコニコしながら、ふたりの話を聞いている。

  ◇    ◇    ◇

正丸デビューする前の晴ちゃんは、どこにでもいるクルマ好き小僧だった。
そして、その前もお決まりのバイク少年。小学4年生の頃から
スーパーカブを乗りまわし、榛名や碓井峠を攻め、
モトクロスに夢中になったりしながら、18歳になって免許を取ると、
S110シルビアのシャコタンフルエアロ仕様を中古で購入し、
そのままで筑波山に走り(?)に行ったりしていた。

で、なんかちょっと違うのかな?と思い始めた晴ちゃんは、
友達がいいと言ってたAE86に出会う。

昭和60年のことだから、いまから10年以上前になる。
友達から正丸峠の噂を聞きつけて、ちょっと見物がてらに
行ってみた晴ちゃんだが、それからズッポリと正丸病に
はまり込むとは予想もしていなかった。

仕事のほうはいえば、自動車の専門学校を出て、
整備工場に勤め始めたものの、2年くらいで辞めて、
板金塗装の仕事に代わり、そこも2年でおしまい。
知り合いの紹介でカーショップに勤めることにしたが、今度は2カ月で退職。

そこから晴ちゃんのプータロウ生活が始まった。
正丸峠の魅力に取り憑かれていく時期と、仕事が
続かなくなってくるのが、奇妙に連携している。

夜は正丸にいて、アパートでは朝方に風呂に入るだけ。
そのままカーショップの裏の駐車場までいって、
クルマのなかで睡眠を取り、店長さんに起こして
もらって仕事開始……そんな毎日だった。

そして、プータロウになってからは、ますます正丸一筋の生活になっていく。

「…………正丸によく来ていたレッカー屋さんがあるんです。
双伸自動車というところで、そこのレッカー作業を手伝って、
そのお礼にご飯食べさせてもらったり、ガソリン入れてもらったり、
タイヤもいっぱい貰いました。あとは友達のエンジンOHや
ミッション交換したりして、なんとかガソリン代を
出してたっていうか、そんなことばっかりしてました。
とにかく走るのが面白くて、ホントに面白くて仕方がないんですよ」

やっと晴ちゃんの登場である。




生活のほとんどが正丸
攻めて攻めて攻める毎日!!

正丸が、当時の晴ちゃんの生活の大部分を占めていた。
正丸を走ること、速く走ること、それがすべてだった。

とにかく、タイヤとガソリンだけはなんとか工面する。
その次がご飯。晴ちゃんの欲求はハッキリしていた。
走っても走っても、納得できない。

だから、メンバーが帰ってもひとりで走っている。
練習時間の長さなら、誰も晴ちゃんには追いつけない。
そして、練習時間だけじゃなくて、速さでも追いつけないようになっていく……。

S110シルビアのシャコタン&エアロ仕様から、
新車で買ったAE86をカッティングシートで
TOM'Sカラーに塗った妙に車高の低いクルマで
正丸デビューした晴ちゃんだが、正丸を攻めるうちに
数え切れないほどクルマを全損させた。

AE86だけで、何台のクルマがガードレールにクラッシュしたことか……。

加藤方式の練習は、クラッシュ寸前の走りを要求する。
クルマのバンパー部四隅に割ばしをくっつけて、
正丸のコースを上がっていくうちに、4本とも取れてしまうかどうか。
バカなことをやっていた。でも、そこまでギリギリに
クルマを寄せていかないと、タイムは上がらないのだ。

自分が考えるギリギリの、もう少し向こうまで、
そうすれば、狭い正丸コースを、有効に使える。
曲率が大きくなれば、スピードを乗せることができる。

晴ちゃんは、プータロウ生活を続けながら、正丸を攻め続けた。

「ホント、ホントに彼は熱心でしたよ。チームの誰よりも、
というか、自分で自分にチャレンジしていくように、
走り込んでいましたから。コイツは、純粋に速さを
求めてるんだな。誰も走れなかったような速度で、
このコースを走りたいと思ってるんだな……その頃から、
晴ちゃんの頭のなかにはレースという文字があったと思います」

加藤さんは、晴ちゃんの気持ちを分析してくれた。
ドリフトするだけじゃ辛抱できない。他の誰よりも
速い速度域で走りたい……これは、どうにもできない
本能に命令系統ができているのだろう。

走っていてどうにもこうにも、眠気がおさまらない。
で、寒い時期だったからヒーターをかけっぱなしで寝ていたら、
ガス欠で目が覚めた。もう、その時点でクルマは動かせない。
でも、晴ちゃんはそんなときも、ニコニコしてたんだと思う。

本人としてはニコニコしてるつもりはないんだけど、
第三者から見ると、やっぱりニコニコしてるのだ。
誰よりも速く、自分よりも速く。そう思っている


晴ちゃんは、いよいよサーキットデビューを目論む……。

(以下その2に続く)

 



現在は、86BRZレースに参戦中

松本板金
〒群馬県高崎市八幡原町351-5

Tel:0273-46-1994

 



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