INDEXへ戻る


1999年GT-R BATTLE!

1999年 (龍ヶ崎飛行場)


いきなり、「鋭次、待ってろ!」であります。
なんのこっちゃ、まったくわかりません。

 

先日まで、CARBOY Returns!というタイトルの本を作っていて、
そのなかで、ついつい使ってしまったページであります。

CARBOYのイベントのなかで、
何度か繰り返されたものというのは、いくつかあるんですが、
GT-Rバトルというのも、そのひとつです。

今回、あらためてチェックしてみましたら、

●1992年GT-R日本一決定戦
●1995年CARBOY0→1000m
●1997年CARBOY0→1000m
●1998年GT-R BATTLE!
●1999年GT-R BATTLE!

と、まあ、R32GT-Rが登場してから、5回もやっておりました。
で、今回紹介するのは、5回目の1999年GT-R BATTLE!。

ま、そのうちに、オイオイと第1回目等も紹介したいと思っておりますが、
今回、こいつを取り上げたのは、誌面の作り方の問題でした。

「鋭次、待ってろ!」であります。

誰なんだ? なにが待ってろ!なんだ?
いろんな疑問がわきあがってきますが、
鋭次くんというのは川村鋭次くんのことで、
エスプリさんのメカニック&ドライバーとして参戦。

で、当時のことを思い出しながら、GT-Rではなくて、
人間が戦っていたんだ……ということを書こうと思っていたら、
当時の原稿を読んでみると、ほとんど変わりがなかった。
そっか、こういう原稿だったんだぁ。
自分でもびっくらこきました。

で、今回は、当時の原稿を再録いたします。
けっして手抜きでは…………ありません(笑)

いい天気だった。

竜ヶ崎飛行場で開催されたCBのGTーRバトル日本一決定戦は、
とびっきりの気候に恵まれ、路面温度は26度付近、
お約束によってバーンアウトこそなしだが、
1000馬力付近のパワーを全開するには、もってこいの環境だった。

ただし、残念だったのは、少しばかり台数が
少なくなってしまったこと。予定では35台程度の
エントリーだったのだが、セッティング中のエンジンブロー、
あるいは事故によるドライバー負傷、
またあるいは前夜のセッティング中にトラブル発覚
……とまあ、様々な理由で、実際に竜ヶ崎飛行場に
到達できたのは、その半数という過酷さだった。

 

まさに……サバイバルである。CBがやるからにゃ、
GTーR日本一決定戦というからにゃ、
半端なマシンは持っていけない。
各チューナーはそう考えている。

ただ走れる場所があるから行くのではなく、
勝ちに行く、タイムを出しに行くわけだ
だから、竜ヶ崎飛行場に到達するまでに、
ある程度のプレ予選(?)が行なわれていた……ということになる。

で、集結したGTーRは、各車3度までのタイムアタックで予選を戦い、
そこから15台が2回戦、ここで5台を落として3回戦、
最終的にはトップから5番目のタイムをマークした
マシン&ドライバーによって決勝戦を行なうこととした。

下に勢ぞろいしているのが、その過酷なゼロヨンサバイバルを
勝ち抜いてきた5台のGTーRとドライバーである。

予選時、あるいはその後の戦いにおいて、最終時の走行を
考えてセーブしたり、安全策を取ってきたドライバーも、
ここまでくると、気持ちはグングンと昂ぶってくる。
ここで勝ちに行かなくちゃ、なんのためにここまで
やってきたのかわからない。口には出さないが、
胸の内でそう考えていたことは間違いない。

それまでの戦いのなかで、9秒468という驚異的な
最速タイムをマークしていたマシンは、
鈴鹿からきたエスプリ33GTーRであり、
ドライバーは川村鋭次選手だった。
下の写真中央に写っているマシン&人物がそれである。

川村選手は、口数も少なめで、一見すると控え目な
印象を受ける。だが、前回のGTーRバトルでは優勝を狙いながら、
思わぬトラブルで敗退しただけに、今度の戦いでも、
一歩も引かない気持ちで遠征してきている。

このベストタイムに挑むのは、写真左からフィーストの平岡選手、
フジイダイナミクスの藤井選手、オートサービスモリの大貫選手、
そして右端がおなじみザウルスの林選手。

決勝戦に至るまでの各々のベストタイムは、9秒7〜9といったところ。
ここで一発踏ん張らないと、優勝候補の川村選手に逃げ切られてしまうわけだ。

みんなも知っているように、ゼロヨンというのは、
クルマが速ければ勝てるというものではない。
ハード面での性能は大切だが、それ以上に、
メンタルな部分が大きな影響を持つ勝負なのだ。

サイドバイサイドなら隣のドライバーと、
1台ずつのタイムアタックなら、ライバルのタイムを
念頭に置きながら、これまでの自分の体験で
手探りしながら追い詰めていく……そうなのだ。

そして、気持ちだけではなく、その場に応じたセッティング、
スタート方法と、タイムを左右する要素というのは、本当に数え切れないほど存在する。

ここまできたら、100分の1秒差でも、負けは負けなのだ。
ベストタイムをマークしても、ライバルに勝たなくちゃ、
やっぱり納得できないのだ。

そういう意味で、単なるタイムトライアルではなく、
サバイバル方式のラウンド戦を勝ち抜いてきた
マシン&ドライバー達はしたたかだった。
そして、それももう最後、である。

これまでのタイムを考えると、順当に勝負すれば、
エスプリの川村選手を抜くことは難しい。

じゃ、どうするのか? こういうときに手がいくのは、
やっぱりブーストコントローラーであります。

頭が熱くなっていて、ドックンドックンとアドレナリン
噴出している状態で考えるのは、ブーストアップであります。

 

「鋭次、チクショーめ、待ってろ、
  ブーストめいっぱい上げて、
  テメエなんざブッチギッてやるかんな~!!」

心の中でそうつぶやいて、グイッと上げる。
また、ブーストだけじゃアドレナリンの
噴出が納まらないドライバーは、それまで
落としたことがないほどに、タイヤの空気圧を下げていく。
ここに至るまでに、自分なりのベストセッティングは探ってきた。
だけど、ここまできたら、あとはそれだけじゃない。

この賭けが吉と出るか、凶に終わるか?
そいつはこれからのバトル記事をジックリと見ていただきたいと思う。

なんてったって、みんな紳士じゃいられない性質の方ばかりです。
ま、旗振ったり、鉄パイプ振り回すタイプじゃありませんが、
アクセル抜くくらいなら、クラッシュしてもいいからブッチギッてやりてえ!! 

そう考えてしまう単細胞全開人種であります。
そういう人種が、ここ一発の決勝戦で、
どんなことを考え、どういう行動を取るか? 

こういうことを考えてもらいたいと思うのだ。
ただフルチューンのGTーRが集まって、タイムトライアルを行なって、
一番速いのはだれそれ……『結論』はそういうことなのだ。

だけど、そういう結論に至るまでには、数え切れないほどの
セッティング時間と、実際のチューン作業、
そして、現場での人間の感情の動き、負けん気、
思い切り、賭け、そして挫折といった、
ホントいろんな要素が絡み合って、『結論』を作り上げていくのだ。
だからこそ、そう、だからこそ本気でやるゼロヨン勝負ってのは面白い!!

 

 

 

記憶力のいいCB読者なら覚えているだろうが、
エスプリは、これまでのCBゼロヨン史上では、
「悲劇」だとか、「無念」といった接頭語がつきまとっていた。

とはいっても、もうずいぶんと前のことになるのだが、
CBゼロヨンの決勝戦で、0.02秒差で優勝に手が届かなかったり、
もう少しのところで……そういうことが、本当によくあった。

チューンするマシンがZからGTーRに移行しても、
どうしてだか勝てなかった。昨年のGTーRゼロヨンもそうだった
抜群のタイムをマークしながらも、なぜかトラブルでリタイア
……少なくてもCBゼロヨンイベントに関しては、
エスプリさんは運に見放されていた。

そう考えても不思議じゃないほど、エスプリが
作り出してきたマシンは、優勝候補の上位を占めながら、
常に最後の一歩のツメが効かなかった。

だが、今回は、違った。極端に言えば、何もしなくても
真っ直ぐにクルマが走ってくれるのだ。

「クラッチミートは7000回転です。最初はSBCを使って
1.5kg/cm2のブーストから、マップを組んで5段階で
ブーストを上げていきました。ベストタイムを
マークしたときは、1.3kg/cm2から2.3kg/cm2まで
段階的にブーストをコントロールしました。
ゴールはHKSのホリンジャーミッションの
4速9000回転ですね。エンジンは調子よかったですよ。
組んでから一度仙台で走らせたときに9秒233を
マークしてましたから、竜ヶ崎でも
けっこういけるかな? そう考えてました」

淡々と語ってくれる川村選手である。
だけど、鈴鹿を出る前に、エスプリの前川さんに
「今回はええとこまでいけるやろ、ま、頑張ってきてや!」
と送り出されてきた手前、タイムが出ないと「なんでや??」と
言われることはわかりきっていた。

問題は自分だ。クルマは問題ない。十分戦闘力はある。
タイヤウオーマーも、昨年同様持ってきた。
途中、ブレーカーが落ちて、タイヤが冷めてしまった
というトラブルこそあったものの、その他は問題なし。

こういうときのプレッシャーというのは、想像以上に
あるものだ。だが、一見優しげな川村選手の心臓には、
びっしりと毛が生えているという噂がある。

その噂通り、並み居る強豪を尻目に、トップタイムをマーク。
そして、決勝でも強気の走りで、ライバルを一蹴した。
エスプリのマシンが、CBゼロヨンイベントを遂に制した!!

というところで、上の写真を見ていただきたい。
何ということのない横っ走り写真のように見えるのだが、
ジックリと見ていると、クルマの姿勢がカッコいいのだ。
3速に入ったあたりの写真だと思うのだが、
リヤのトラクションがシッカリとかかっていて、
フロントもガッチリくいついている。
この安定した姿勢が、エスプリ初優勝の原動力だろう。

決勝戦終了後、川村選手は鈴鹿の前川さんに携帯電話をかけた。
言葉少なに、勝ったことを告げた。
電話の向こう側で、前川さんは「ウン、そうか」と、
アッサリと答えたという。

だけど、電話を切った後、
あの前川さんがニッコリした

……CBスタッフはそう読んでいる。

 

 

 

 

 

 

 



↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


TOPへ戻る

↑イロイロな記事がありますので、
Contentsページをご覧になってくださいませ!