GT-Rが発売されて2年……
RB26DETTチューニングを模索し続けた
国産チューナー激突!!

23台のR32が、谷田部自動車研究所に集結した。
1989年5月に発表された、8代目のスカイラインGT-R。
このクルマが、この後のチューニングシーンを、
大きく変貌させていった。
もう、30年以上前の話に……なる。
発売直後に入手したとして、
今回のGT-Rバトルに参加するまでに2年強。
全国規模でのチューニング開始だった。
それまでのスポーツマシンといえば、
L型、REの2強。
NAからTURBOチューンへと変貌していったものの、
ベースとなるエンジンは、変わらなかった。
しかしながら、RB26DETTというNEWエンジン、
そしてツインターボという装備を、
『ノーマル状態』で備えたクルマというのは、
当時としても、とんでもないポテンシャルの
チューニングベース車両だった。

思い出話をさせてもらえば……。
この『第1回GT-R BATTLE!』を終えて、
東京方面に帰途についたGT-R勢のうち、
多くの割合で、「異音」「振動」
そして、「不具合」を発生していた。
全開で挑んだタイムアタックは、
新しいベースエンジン、そして、これまで例のない
チューニングの試みを施した結果……けっこう壊れたのだ。

谷田部自動車研究所に来るまでは、
いい調子で飛ばしてきたR32GT-Rが、
帰り道では走行車線をソロソロと……。
この原因のひとつとして考えられるのは、
RB26DETTのオイルパン内部構造だっただろう。
急加速を行なうと……オイルパン内部にある
オイルが後方に急移動。
後方に溜まったオイルに対して、
エンジン内部に潤滑油を供給する役を負った
オイルストレーナーは、『

前部に設置』
されていたわけです。
あとで考えてみれば、な〜んだ〜!と
なるわけですが、当時のチューナー諸氏には
わかりませんでした。
「おかしい」「そんなはずは」
しかしながら、ノウハウというものは、
ある種のキッカケさえあれば、
一気に流通するものであります。
この1年後あたりには、オイルストレーナー問題は
もはやチューナーの『常識』となっていくわけです。

おっと、もうひとつ。
当時囁かれていたウワサ……です。
この『第1回GT-R BATTLE!』を制したのは、
RSヤマモトGT-Rでありました。
ベストタイムが10秒282……。
2位につけたオーテックツカダGT-Rが10秒905。
それ以外の参加車両はほとんどが11秒台……。
おかしい。
RSヤマモトは、CARBOYでの連載もあるし、
取材の協力も、いろいろと、ある。
なんだか、おかしいんじゃないの……。
そういう『ウワサ』でありました。
よくある話です。
雑誌社主催のタイムトライアル的なイベントで、
おなじみさんにタイムを『盛る』。
ま、CARBOYとしては、そういうことを
依頼されたこともありますけど、
これほどしょうもないこともないので、
キッパリとお断りさせていただいておりましたが、
山本さん本人の目標タイムが『10秒7』
そして、0→200mのタイムが、
他の車両よりコンマ6秒以上速い……。

当日は、計測や撤収、撮影や取材と、
バタバタしておりましたので、
あまり気がつかずにいたのですが、
編集部に帰ってきて、タイム表を整理していると、
やっぱりおかしい……ことに気づきました。
この頃、CARBOYが計測に使用していたのは、
SEIKOのトグルスイッチ方式のスタート機材と、
ゴール地点のテープスイッチでありました。
小さな三脚にセットしたトグルスイッチを、
当時の編集長であった池田さんが、
一台一台、フェンダーアーチの後方にセットします。
クリアランスが微妙なのですが、
多少の余裕を持ってセットするのが常でした。
このとき、最終ランナーとなったRSヤマモトGT-Rですが、
けっこうコースの貸し切り時間ギリギリだったように思います。
で、池田さんがいつものようにセットしたわけですが、
このとき、少しばかり前方にセットした……のではないか?
藤本的には、そう考えています。
少し前方に……といっても、数cmの差だと思われます。
ですが、ゼロヨン計測をする場合、最初の数cmというのが、
どれほどタイムに影響するか?
それを、後年になって、イヤというほど思い知らされます(笑)
いまとなっては、想像でしかないのですが、
当時の『驚異の新記録!』は、そういうシチュエーションのなかから
生まれたものではなかったでしょうか?









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