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RRCドラッグレース☆1986年

1986年(FISCO)

1986年に開催された
RRCドラッグレースの
CARBOY掲載分であります

このころ、といいますか、
CARBOY0→400mとRRCドラッグレースが、
FISCOで交代ばんこ(?)に開催され、
一方は賞金もかかったJAF戦。
片方は、意地と記録の争奪戦。

ま、性格の異なったレースが行なわれ、
日本のドラッグレースというものが、
ストリートでの盛り上がりから、
徐々に『RACE!』へと変貌していった時期でもありました。


ですから、両レースへのエントリー車両がかぶっているわけで、
カテゴリー分けや、レギュレーション(CARBOYは大雑把でしたが)、
そういったものが異なりながらも、ドラッグイベントとして、
人気を博していたわけでありました。

 

 

 

 

そんな1986年度のドラッグレース事情ではありますが、
RRC第2戦では、下記のようなクラッシュが発生いたしました。

大クラッシュはピレリー富山(後にデュークファクトリー)の根塚選手。
2001年度から始まったJDDAの初代会長になる根塚選手ですが、
FISCOの路面を外れて、グリーンにはみ出した瞬間からは、
コントロールができるわけもなく、ウオールに派手なクラッシュ。

ドラッグの専用コースというものには、
通常のサーキットに見られるような
グリーンのような退避帯は設けられず
コンクリートウオールが設置される。

これは、直進を競う競技なので、
逆の意味の安全対策でもある。

だが、専用コースではないFISCOでは、
このグリーンにはみ出してしまうと……悲惨。
CARBOY0→400mでも、何度もグリーンで思いっきり滑走して
コンクリートウオールに激突というシーンはあったが、
根塚選手の『コレ』は、激しかった。

たぶん……想像ですが……コクピットのなかで根塚選手は
「コ、コッ、コレ、どうなんの〜?」と、
喚き散らしていたと思います。

後年、プロストックシャシーのGT-Rで、HKSの川崎選手と
対戦したとき、コース中盤でコントロールを失い、
スピンしながら川崎選手と交錯……という『離れ技』を
演じたあとに、ピットに帰ってきた根塚選手は、

「死ぬかと、思ったわ〜」と言ってましたが、
このときも、相当だったものと思います。

故人となった根塚選手ですが、
いいやつでした。
ピレリー富山時代に、電話をかけてきて、

「ええカムが欲しいがや〜」

一緒にカムを探したことを思い出しました。

JDDA初期時代に、未曾有の大雪で仙台ハイランドに閉じ込められ、
ザウルスの林さんが、コンビニでありったけの食料を買って、
4WDで食料補給に出向いた際、

「とっくり……ありがたい……どうなることかと、思っとったがや〜」
と、財布のお金を全部出した根塚選手でありました。

思い出というものは、ふとしたきっかけで、急激に噴出する性格を持っています。

おっと、1986年度のRRCドラッグレースから、ちょいとばかり逸れてしまいました。
スマン。

 

 

 



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よろしかったら、お願いします。


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