FISCOで開催された`84 RRC Drag Race!

1984年10月&12月号(FISCO)

CARBOY0→1000mをやっていた
CBよりも一足先に開催された
RRCドラッグレースの`84年の記録

RRC(ロードランナーレーシングクラブ)主催の
FISCOに於けるドラッグレースが開始されたのは、
1983年のことだった。だが、当時のCARBOYを探してみても、
どうにも取材記事が見つからない。
ま、そのうち、ひょんなことから発見して、掲載するかもしれないが、
いまのところは……ない(笑)

当時のことを思い出してみると……。

RRCの中島さんが、CARBOY編集部にやってきて、
「CARBOYさんがやっているトーナメンを、RRCでもやりたいのだが、いいかな?」
という話を覚えている。
「いや、トーナメントというのは、別にCARBOYが考えだしたことじゃないし、
NHRAでもトーナメントですから、やられたらいいんじゃないですか?」
そう答えた記憶がある。

でも、RRCでトーナメントを始めたのは、ずっとあとのことだったので、
CARBOY0→400mが、FISCOに進出したのが1985年だから、
その後の話だったのだろう。

とまれ、`83年に開始されたRRCドラッグレースは、当初クラスごとの
タイムトライアルだった。

今回紹介する1984年のレースは、
V8軍団がリードする状況から始まって、
次第に国産ターボが台頭するという展開を見せていた。

これは、CARBOY0→1000mにおいても、
当初はメカチューンから始まり、次第にターボチューンが
主流となってきたという流れを考えれば理解できるだろう。

V8の大排気量NAやスーパーチャージドマシンが優勢だったのに、
いつのまにか、L型やREのターボマシンが、その領域を超え始めた。
ということになるのだろうか。

そして、1984年というシリーズを制覇したのは、
ビルドサニー&川崎哲也選手の組み合わせだった。

CARBOYでも、谷田部のテストで、10秒688というタイムを記録した
この組み合わせは、FISCOにおいても、その地力を発揮して、
初戦こそ落としたものの、2戦、3戦と、次第にその実力を発揮した。

いまから考えてみれば、このときの快進撃が、
後のHKSワークスドラッグドライバーとしての
川崎選手に繋がったのだろう。

川崎選手とHKSマシンのことについては、また別の機会に
紹介したいと思っているが、当時のビルド&川崎POWERは絶大だった。

このHPをご覧になっているなかにも、
様々なクラスで、RRCドラッグレースにエントリーした方も、
多くいらっしゃると思います。

CARBOY0→400mの場合は、50台前後というキャパシティがあって、
申し込みをしても、しても、しても、何回しても、採用されないという
非常に高いハードルがあったために、参加数は限られてしまっていたけれど、
RRCの場合は、クラスを選んで、エントリーフィを支払えば、
参加できるという大きな違いがありましたからね〜。

ま、そんなこんなで、懐かしいRRCドラッグレース`84の模様を、
お楽しみくださいませ。


おっと、そうそう、レースの模様だけではなく、
参加準備段階の取材も行なっておりましたので、
そちらのほうも、年代順に掲載しておきます。

最後の項は、次年度(1985年)用の準備編でございます。



1985年には、谷田部からFISCOに場所を移した
CARBOY0→400mが開始されます。

こちらのほうも、近日中に掲載する予定ですので、お楽しみに(笑)

 

■1984年RRC 第1戦

 

 

■1984年RRC参加マシン計画


 

 

 

■1984年RRC 第2戦

 

 

 

■1984年RRC 第3戦

 

 

 

 

■1984年RRC 第4戦

 

 

 

■1984年RRC参加マシン 1985年度計画

 

 

 

 


 

 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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