1986年に開催された
アシリベツサーキット誕生の
CARBOY掲載記事です!

まずは、記事を引用させていただこう。
◇ ◇ ◇
最速タイムをマークしたのが、HKS北海道サービスの
S30Z・M500だった。4速8000回転でゴールしたタイムが、
12秒063。もう一歩で11秒台というものだった。
しかし、このタイムでは全長650mのコースを止まりきるのが
やっとの状態。2回目のトライアルで、残念ながら
コースを飛び出し、崖下へのダイビングとなってしまった……。
◇ ◇ ◇

……であります。
このときは、藤本が行ったのではなく、
別の人間がアシリベツに取材に行ったと思います。
で、そのときのコース状況は?といえば、
山をくり抜いたところにコースが作られ、
全長650m、幅12m。
かつて0→300m用に使われていたものだが、
4日前に0→400mコースとして生まれ変わった。
この日が北海道で初の0→400m大会が行われたわけだが、
なにしろ、全長が650mですから、400m通過時に
ブレーキングを開始しても、止まる頃にはコースアウト。
おまけに、その先は『崖』
さよう〜な〜ら〜、さよ〜な〜ら〜であります。
おまけに、当日は雨。
なんちゅうエライ状況で、ゼロヨン大会をしなくてはいけないのか?


本土から遠征したマシンは5台。
しかも、そのとき発生した台風19号のおかげで、
いつまでたっても北海道にたどり着けないというありさま。
その5台とは、ビルドサニー、タカハシタイヤスティングレー、
SSシノハラZ、RE雨宮7、カキモトZ……それらのチームは、
思いっきりのフェリー旅のあとで、
このような『強烈なコース』とご対面したわけです(笑)
いやあ、なんだったんでしょうね?
当時の熱さというか、情熱といいますか、
やる気といったらいいんでしょうか、
破れかぶれ……いや、これは違うか。
1986年。
いまから35年近く前の話でありました。
この後、北海道のゼロヨンはコースを変え、
マシンも進化し、様々な場所を変遷しながら、
発展を続けていくことになります。
その『最初の最初』のスタート地点が、
このアシリベツだったわけです。

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