0→1000mBATTLE

 


2ヶ月前に記録されたL型20秒台記録をRE勢撃破!!

1984年11月号(谷田部自動車試験場)

わずか2ヶ月前に柿本レーシングが
叩き出した20秒台の新記録が、
2台のREマシンによって、あっけなく
更新された……その後のREバトルの結果
脅威の19秒台が叩き出された!!


下のCARBOY0→1000mのタイトル記事を見ると、
優勝したのがサンユーレーシングのような
錯覚を起こしてしまうのだが……これは、完全に藤本の選択ミスですね(笑)
ただ、タイトルに使える写真が、なかったんだと思います。

夜明けどきの暗いなか(走行灯が点いていることからもわかると思いますが)、
カメラマンは大変だったと思う。フラッシュをたくしかないのだが、
走行中のドライバーにフラッシュの閃光が浴びせられたら危険極まりない。

だから、フラッシュをあくのは、クルマが通り過ぎてから……。
明るくなってきて始めて、斜め前からの写真撮影が可能となる。
いまの高ISO感度のデジカメの常識から言うと、信じられないのだが、
当時使用していたリバーサルフィルムのISO感度は400。
これが、どれくらいのISO感度なのか?ということは、
デジカメに詳しいヒトならわかってもらえると思う。


以前、このHPで、SAKOレーシングの左光さんのことを紹介した。

そのなかで、このような原稿を書いた。

『それまでは、谷田部に来ても壊れて走れないということが
何度も繰り返されてきただけに、その思いが一気に炸裂した一瞬だった。
当日は、6回の走行を行い、21秒391→21秒270→20秒599→20秒566→
そして最終的に19秒636というタイムに凸立つした。
そのときのゼロヨンタイムは、11秒752→11秒637→11秒387→11秒381
→10秒839……つまり、6回走って、一度もタイムダウンせずに、
少しずつタイムを稼ぎながら、最終的に大記録をマークしたということになる。』

13Bツインターボエンジンに、ブースト2.0kg/cm2をかけた
SAKOレーシングだが、このときに最後まで競り合ったのが、
サンユーの13Bペリ……つまり、REの逆襲となったわけだ。
ま、柿本レーシングの記録を塗り替えた、とはいうものの、
柿本レーシングのエンジンはL型NA。それにターボ、パイプフレームシャシー、
そして、L型ターボや、13Bターボ、5M-Gターボ……つまり、たった2ヶ月で、
ターボへの移行がグングンと進んでしまっているわけだ。

このころ、本当にターボ化は急激に促進されていった。
この後、CARBOY0→1000mは2回行われるわけだが、
そのあと、FISCOに舞台を移したCARBOY0→400m時代が、
幕を開けることになるが、そのときには、もうNAとターボの格差は、
相当なものに広がっていた。

しかしながら、谷田部自動車試験場の路面(一般舗装に近い)で、
バーンアウトもナニもなしに、1台ずつマイクロスイッチをセットして、
GOサインが出たらそのままスタート……この状態で、
SAKOレーシングは10秒839、サンユーレーシング10秒812というタイムは、
スゴイもんだな〜と思う。

あ、マイクロスイッチというのは、リヤフェンダーの後ろ側に、
針状のスイッチをセットして、3cmほど動けばスタートしたと検知するシステムです。

当時、スタートは、このマイクロスイッチを使い、
400m、1000m地点には光電管をセットしていた。

しかし、思い出せば、1000mのコードを谷田部自動車試験場の総合試験路に
セットするというのは大変な作業だった。
最初に、0→400m用にこのシステムを考えたのは藤本だったが、
1000mになったときは、計測主任に日野くんを任命して、
その後の作業は、日野くん任せで進んだ。

40mほどある試験路の道幅の端と端に光電管と反射板をセットするというのは、
非常に繊細な作業だったと思う。光電管がセットし終わるまで、
CARBOY0→1000mは開始できない。夜明け頃の暗さのなかで、
なかなか進まない光電管セット作業……いやあ、あれはシビアな作業でした。
日野くん、お疲れ様でした(笑)

 

 





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