0→1000mBATTLE

 


連続開催のCARBOY0→1000m Rd.2

1984年10月号(谷田部自動車試験場)

メカチューンのL型が到達した20秒台の
強烈タイム。N2Oやターボを退けての
快挙……だが、時代はターボに移行??


2年ぶりに開催された前回のCARBOY0→1000mだが、
そのときは、柿本レーシングのZが、21秒088というタイムで、
トップを獲得した。そして、その2ヶ月後に、再びCARBOY0→1000mが
行われた。今回登場するのは、ディフェンディングチャンピオンの
柿本レーシングZに加えて、N2OパワーのテスタロッサZ、
この少し前に行われたRRCドラッグレースで、柿本レーシングZや
ビルドファクトリーサニーを0.2秒差で押さえ込んだ
SAKOレーシングのツインターボRX-7、超軽量ボディのRE雨宮セルボ……。

しかしながら、今回もトップを獲得したのは、L型メカチューンの
柿本レーシングZだった。しかしながら、1万回転回るはずのエンジンが、
8500回転で頭をうってしまう。結果として、ゼロヨンタイムが縮まらない。

前回のゼロヨンタイムは、11秒180である。
L型のメカチューンが、谷田部の路面で、バーンナウトもなしに、
11秒180……このあたりは、現在のL型メカチューンのタイムと
比較していただくと、いかに凄いかが、ご理解いただけると思う。

そして、更なるタイムアップを狙って、柿本さんが、
ドラッグスリックをワンサイズ大きなモノに履き替えて、
最後のアタックに挑んだのだが……

クラッチミートした次の瞬間、柿本レーシングZのフロントが、
1mほどウイリーした。そして、その次の瞬間、アームが折れてしまった。

周りで見ていたスタッフは、びっくり仰天の目が点状態。

L型で、しかも、メカチューンで、1mのウイリー。

最終的に、タイムは、前回の21秒088を更新した20秒888。
わずかコンマ2秒、である。

 

追加訂正であります。
上のテスタロッサ・アサミZのエンジンルームの写真を
藤本が間違えて、違うクルマのものを掲載しておりました。
石川さんに教えてもらって、35年ぶりに気が付きました。
で、写真を探したのですが、なくて、なくて……。
でも、思わぬところから発見しました。
CARBOY0→1000mの最終決戦のときに、
テスタロッサ・アサミZも参戦。そのときの写真がコレです。
……まさか、こいつも間違っていたら……死刑(笑)

話は戻って……

 

クルマのウイリーで、印象的なのは、
昔のスキャットで坂本オートZのそれと、
このときの柿本レーシングZ、そして、JDDA仙台の
ラウンドエンジニアリングZUの板橋選手のそれ。

どれも、ウイリーさせようと思ってやったものではなく、
結果的にウイリーしてしまったというケース。

これも、坂本オートZはN2Oだったと記憶しているし、
ラウンドエンジニアリングZUはターボ。

L型メカチューンでのウイリーというのは、
後にも先にも、今回の柿本レーシングZだけだと思う。


それも、強烈なインパクトのウイリー……だった。

しかしながら、今回こそ優勝を手中にしたものの、
ターボパワーの台頭は、如何ともしがたい。
現在では、メカチューンとターボの差というのは
歴然としていて、揺るぎようがないのだが、
この当時(1984年)は、その勢力範囲が入れ替わろうと
していた時期だった。

このあと、CARBOY0→1000mは、Rd.3、Rd.4と開催され、
1984年度のチャンピオンを決定する最終決定戦に至ることになる。

そして、その後は、舞台をFISCOに移し、CARBOY0→400mの幕が開く。

CARBOY0→1000mという企画は、その前のSHOP対抗のゼロヨン大会から、
ステップアップしたものであり、その後、距離を400mにした企画へと変貌する。

いやあ、これが、33年前のことだと……いまさらながら、驚かされる!!

 

 





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