0→1000mBATTLE

 


2年ぶりに開催されたCB0→1000mは急激TIME UP !!

1984年9月号(谷田部自動車試験場)

しょっぱなから記録更新したものの
その後に襲ってきたトラブル多発嵐
今後のCARBOY0→1000mトライアルの
契機となる記念すべき一戦!!

 

一瞬の出来事というものが、世の中にはままあるもんだ。
前回、国内初の試みだったCARBOY0→1000mは、
ファニーレーシングが22秒71というタイムで優勝したわけだが、
それから2年経っての開催……これは、以前も紹介したように、
CARBOY0→400m日本一決定戦が、その間に入ったからだ。
時間無制限(いや、1日という制限があった)、走行無制限の
サドンデスの0→400mバトルを制したのは、
ビルドファクトリーのサニーだった。

そして、0→400mバトルに、一応の決着をつけて、
開催されたのが、今回紹介する第2回CARBOY0→1000m。


                                                   ©八重洲出版 

スタートOKの合図が出てから、ほとんど時間が経っていないというのに、
柿本レーシングZは、いきなりの21秒088と、ファニーレーシングの
記録をあっさりと塗り替えた。2年という歳月は、これほどまでに、
クルマと、エンジンと、そして既成概念を塗り替えてしまうものなのだ。

しょっぱなに記録された新記録は、次に続くさらなる記録を期待させる。

しかしながら、ものごとというのは、そうそう段取りよくは進んでくれない。
エンジンのパワーアップを図り、ギヤ比を計算し、回転数を勘定して……
机上の計画は、あくまで机上のものであって、現場ではナニが起こるかわからない。

新記録をマークした柿本レーシングZは、その走行中に、
リンケージトラブルを発し、リタイヤ。

その後を追うビルドファクトリーのクロスフローZは、
柿本レーシングZの記録に1000分の7秒差と迫りながらも、


バンクに侵入するときに白煙を吹いた。

 

 

異形の雄昭和ボデー3.3Lは、途中でピストンが溶けてしまい、
九州から参戦したRS97の3.7Lはガスケットが抜け、
ゼロヨンのみの参戦だった高橋自動車(河西モータース)は
11秒台をマークしながら、ガスケットが抜けてリタイヤ。

悪夢のように襲いかかるトラブルの嵐のなか、
2度めのCARBOY0→1000mは幕を閉じた。

気分的には、『消化不良』だった。
しかしながら、2年ぶりの開催となったCARBOY0→1000mは、
その可能性と、チャレンジ精神を奮い起こすいい起爆剤となった。
この後、CARBOYは、連発でCARBOY0→1000mを開催することになる。

それは、このときの『消化不良』が、大きな原因となった。

そういうことというのは、往々にしてあるものだ。
雑誌だって、生き物である。イケイケドンドンで突っ走りもするし、
面白いとなれば、ガンガン連発していく存在である。

CARBOY0→1000mという企画は、色んな要素を含んでいた。
0→400mタイム、そして、0→1000mタイムに加えて、
最高速の範疇にまで踏み込んでいくわけだ。

ちなみに、JDDAの仙台戦で、7秒フラットラインのタイムが
出ていたときは、終速(ゴール地点での速度)は320km/h近くに
達していた。約400mで、ですよ。200m地点での速度は、
260〜270km/h。こういうマシンで、1000mを走るということは
ないと思うのだが、当時、400mを走ることを主に開発されていた
マシンが、そこからさらに600m全力疾走するというケースは、
完全に想定外だったし、未知の領域だった。

だからこそ、面白いのだ。
そして、今回のトラブルの連発というのは、
こういう状況下で、起こるべくして起こったものであり、
それを、今後、どう解決していくか?というこに焦点が絞られていく。

そして、1000mという距離を走るために、
次第にNAからTURBOへと
時代が移っていく契機にもなった。

そういう時代背景を考えて、タイムを見、マシンを読み解くと、
面白さは倍増するかもしれません(笑)

このあとのCARBOY0→1000mは、次第に過激化していきます。
乞うご期待!!

 

 

 

 





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