0→1000mBATTLE

 


CB0→1000m谷田部で開始される!!

1982年7月号(谷田部自動車試験場)

1000m通過タイムで100分の4秒差で
勝敗が決まる……逆転の次に来た
逆転走行は、強烈な高周波サウンドだった!!

 

 

                                ©八重洲出版 

 

SHOP対抗の0→1000m BATTLEは
RE勢郵政のまま最終決戦にもつれ込んだ!!

 

使用タイヤはピレリーP7、クラッチミートは
最初は9500回転だったが、
次からは9000回転に抑えた
1000m通過は、5速9300回転の240km/h。
ファニーレーシングの13Bペリは、22秒71というタイムで、
2位のRE雨宮シャンテを100分の4秒差で押さえ込んだ。

シャンテのドライバーは、メカニックの村松選手。
初めてのドラッグスリックを使用して、
超軽量シャンテで、一度はファニーレーシングを100分の4秒抜いたものの
最後で抜き返されるというドラマを演じてくれた。

3位もRE勢のS.S.ロイヤルRX-7。
その後に、マウントZ(現在の塩原さんドライブ)、
エイワレーシングZと、L型勢が続き、
TOPSのパンテーラ、Mレーシング、ビルドファクトリー……という
結果に終わったわけだが、まだ、ターボが登場する前の
メカチューン勝負で始まったCARBOY0→1000m。

谷田部の高速周回路を使っての初めての試みで、
それぞれが、どれくらいのギヤが必要なのか?
1000mという距離は、どうやってタイムを縮めていけばいいのか?

まったく見当がつかない状態でのイベントスタートだった。

ここで、各車のゼロヨンタイムを見てみると……。
ファニーレーシングが12秒77、シャンテが12秒14、
エイワレーシング12秒68、S.S.ロイヤル12秒69、
マウント12秒77となっていて、当時としては、
異様に速いことがわかる。

メカチューンで、谷田部の路面で、12秒台ですよ。
それまでのCARBOY良い子ゼロヨンからすれば、
非常にハイレベルな争いだったということができると思う。

そして、その後に、600mも加速を続けていくのが、
CARBOY0→1000mなんです。これは、長いよ〜。

当日の記憶のなかで、一番鮮烈だったのは、
なんといってもファニーレーシングのペリサウンドだった。

予定していたインジェクションエンジンがトラブルで使えず、
急遽搭載してきた13Bペリだったが、そのサウンドは強烈の一言。
しかしながら、その音色は、やかましいペリサウンドとは違い、
本当の高周波サウンドだった。谷田部の周回路には、たくさんの
樹木が植えられていて、騒音を防御するように設計されている。

だが、その背の高い樹木が、ペリの高周波サウンドに震えるように
思えたのは、藤本ばかりではなかったと思う。

フランスで行われるル・マン24時間レースを見に行ったことがある。
延々と続くユーノディエールの直線を夜間に走っているときに、
ドライバーは、木々の梢を見ながらドライブするという話を、
本当かどうかわからないが、聞いたことがある。

コース脇で野宿しながら、ル・マン24時間を観戦したときに、
ビックリしたのは、そんな逸話ではなく、ライトがコーナーを
照らしたと思った瞬間に、マシンはそのコーナーに入っている……
という現実的なスピード感だった。「いやあ、これはスゴイわ」
そう思った。完全にコースを暗記していなければ、
このようには走れない。そう思いながら、一晩過ごした。

ま、それはそれとして、当日の谷田部の樹木たちは、
時ならぬ高周波サウンドに驚いたことだろう。


それくらい、ファニーのペリサウンドは凄かった。

良い子ゼロヨンから始まったCARBOYのイベント開催グセは、
今回のCARBOY0→1000mを転機として、1000m勝負の
ゼロセン時代に突入することとなる。

1982年といえば、35年前のことになる。
そんな時代から、チューニングカーを使ったバトルが
繰り広げられていた。なにしろ、ピレリーP7ですから……ねぇ(笑)

 

CARBOY1982年7月に掲載されたものです。
※以下、当時のまま掲載させていただきますので※
※価格、仕様等は変更されている可能性が大です※

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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