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中山サーキットにドリコンGP参上!

1991年10月号(筑波サーキット)

ゲートOPEN7時間前から
ギャラリーが詰めかけた
満員御礼筑波サーキット!!

 

筑波サーキットの開場は8時であります。
つまり、といいますか、ゲートのOPENは午前8時であります。
今回紹介するドリコンGP筑波戦に来場したギャラリーのうち、
観客席に座れずに、その間に設けられている『階段』で観戦していた
ヒトに「何時に来たの?」と聞いてみた。

「6時ですっ!!」

キッパリとした返答でありました。
しかしながら、午前6時、つまり会場時間前に来て、
『階段』にしか座れないということは、『正規の座席』に
座っているヒトたちは、何時に来たんでしょ?

「2時です」

「まだ甘い、1時です」

…………一体全体どうなってるんだ?

というのが、当日のギャラリーの入れ込み度を図るひとつの指針であります。
筑波サーキットというのは、メインスタンドがストレート脇にあるのだが、
今回の審査ポイントはヘアピン部。

1コーナーを通過して、ヘアピンを通り、ダンロップブリッジを抜けていく。
だから、ヘアピン中央部に設けられたギャラリースタンドが、
メインの観戦場所となるわけです。

この満場ギャラリー筑波戦を勝ち抜いたのは小倉選手でありました。

記事中で『ジミー小倉』と命名された小倉選手は、
名は体を表すという格言が、そのままズボッとハマったような謙虚な性格。
しかしながら、その走りは、ダテにドリコンGPを勝ち抜いたわけではなかった。
当日の形容には……。

「2速オーバーレブのまま、第1コーナーを抜けてきたジミーは、
S字を直線のように抜け、スピードをのせてギャラリーコーナーに
突入する。サイドブレーキをキッカケに、コーナー入口の
はるか手前から白煙を吹き上げるタイヤ。ドリフトしてきたマシンは、
イン側の縁石に乗り上げそうになりながら、もう一度アウトに流れていく。
そのまま、ダートにちょいと落として、揺り返しでマシンの方向を変え、
ダンロップブリッジを、大ドリフトで抜けていく……」

そんな小倉選手に、後日再会したことがありました。

浜松の軽トラのお師匠さんのところにいったとき、
いきなり登場したかと思うと、
「ボクのこと覚えてます?」
「ジミーです。ジミー小倉です」
「…………いや……誰?」
「本当に、覚えてないんですか?」
「……ウソ(笑)」

クルマの挙動とは、まったく正反対の言動が、
たまらなく楽しいジミー小倉選手でありました。

というわけで、満場のギャラリーが詰めかけた
1991年度の筑波決戦。思い起こしていただければ幸いです。

おっとぉ、このヒトを忘れてはなりませぬ。
地獄の公務員と言われたデブ渡辺(まんまですなぁ)。
詰めかけたギャラリーに、感動は与えるものの、
結果は得ることができないという、
絵に描いたような悲劇のドリフターであります。

前年度のグランドチャンピオン戦では、
織戸選手に惜敗し、リベンジを賭けた
筑波戦では、地味な性格の小倉選手に阻まれた。

そういう性格というか、人生のありかたというのも、
それは、それで、いいと思います。
汚れた英雄(Wikipedia)にも登場する
ウッビアリとプロビーニの
存在のように……あ、話が古すぎましたか(笑)

 

 
















 

 


 




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よろしかったら、お願いします。


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