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1989ドリコンGP最終戦は激満員の山梨対決!

1989年12月号(スポーツランド山梨)

超満員どころか、
入場お断りまで出現した
大パニックのドリコンGP!

 

989年という年は、記念すべき年となりました。
ドリコンGPという、他に例のないイベントをおっぱじめて、
スポーツランド山梨→中山サーキット→エビスサーキットと
巡業をしてきたわけですが、このときの最終戦は、
再びにスポーツランド山梨。

CARBOYのスタッフは、一度やった会場だし、
のんきに構えておりました。
来場したギャラリー諸君も、ピクニック気分で、
ルンルンの好天気でありました。

しかしながら……であります。
好事魔多しというように、
順風満帆&得意満面というわけには、
降ろしてはいただけませんでした。
詳しいことは、当時の原稿から、感じていただければ
ありがたいですが、もう、完全にパニック状態。

いつもなら、サーキット各所に、CARBOYスタッフが分担して、
それぞれの役割を果たしてくれるのですが、
このときばかりは、全員交通整理に駆り出されまして、


サーキット内にいたのは、送り出しスタッフと藤本だけ。

いやあ、強烈な一日でありましたが、
ドリコンGPの盛り上がり方を、
肌で感じた一戦でもありました。

 

以下、本文ママ

申し訳ないことをしてしまいました。といっても、
何をいっているのかわからないひとにとっては、
チンプンカンプンの、パツパラパーであります。

スポーツランド山梨で開催された、ドリコンGP 最終戦です。

C 臼誌上で予告していたドリコンGP は、
空前のパニックを迎えてしまいました。
午前日時、付近の道路は満杯となっていました。

ドリコンを見にきたギャラリーのマシンで、
それこそ、あふれかえっていたのです。
で、錠破りの路上駐車ということになったわけですが、


なんと、その路上駐車の列が、サーキットの入り口から延々6km!

ドリコンのギャラリーコーナーにたどり着くまでには、
最低6km、それも山道を歩かなければならないのです。

時間にして約1 時間半。

当然のことながら、帰り道も同じくらいの
時間が必要になります……ゴメンネ。

 

びっしりと詰まった路上駐車のあとからあとから、
大阪や名古屋から、何時間もかけて、
ただドリコンGP を見るためだけにやってきたひとたちを、
CB スタッフは無情にも追い返してしまったのです。

「すみません、ここでクルマを止めても、
6km以上歩くんです。場内はいっぱいで、
入れないし……」

ウソじゃありません。

無線機で連絡をとっていて、
場内にはもうギャラリーの入る隙聞がない、
と悲鳴をあげていたのです。


しかし、事情はどうあれ、
無情にも追い返したことは事実です。
せっかく遠い道のりをやってきたのに、
門前払いならぬ6km払いでありました……ゴメンネ。

ドリコン現場に目を向けてみると
最初は、なごやかな雰囲気でシートを敷いて、
お弁当の用意をしてゆっくりと
ドリコンでも楽しむ……そう思っていた
家族連れ、カップルの思惑は、みごとに外れました。

ドンドンドンドンと入ってくるギャラリーで、
ビニールシートにゆったりと座ってられやしません。

膝を抱えて座るようになり、
立ち上がり、
それでも足りなくて、
ギユウギユウ詰めになって……ゴメンネ。

というわけで、異織に盛り上がった
ドリコンの裏には、数えきれぬほどの
人間の血とアシェと、悔し涙と体力浪費が
あったのでありました。

スポーツランド山梨C 集結した百万人CB 読者の皆様、
ホント〜に、お疲れさまでありました。
そして、ホント〜に、ごめんなすって!

 
















 

 


 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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