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1989ドリコンGP第3戦はエビスで激突!

1989年11月号(エビスサーキット)

のちにドリコンの聖地となる
エビスサーキットで開催された
1989ドリコンGPは
グループ交際が優勝!

スポーツランド山梨→中山サーキットに続く、
ドリコンGPシリーズ戦1989の第3戦は、
東北に遠征してのエビスサーキット編となります。

ドリコンGPは、年間4戦のスケジュールで、各地のサーキットを
転戦するという方式で始めた。それぞれの地域、そして特性が、
味わえるのではないか?という意図からだった。

しかしながら、CARBOY0→400mを開催しながら、
同時にドリコンGPをも開催するということは、
年間それぞれ4戦で、合計8回のイベントを主催することになる。

いやあ、いま考えれば、「頭のなかはどうなってるんだ?」と、
当時の藤本に言ってやりたい気分であります(笑)

今回、エビスサーキットでのドリコンGPを紹介するにあたって、
一番大きなポイントとなるのは、コースの高低差ということでしょう。
一番低いところに位置する最終コーナーを抜ければ、
メインストレートの強烈な登りが待ち受けている。

そして、ストレートの中間地点で、上り勾配は終了し、
そこからは下りながら第1コーナーに進入することになる。

つまり、ストレートの『頂上』というものが存在するわけだ。

エビスサーキットでのドリコンGPを劇的なものにする
最大の要員は、この『頂上』というものの存在であります。

ギャラリー席からは、ストレートを上っているときのマシンの姿は見えない。
ただただ、エキゾーストノートが聞こえてくるのみ。

そして、それまで音だけで感じていたマシンが、
『頂上』に達した瞬間に、一気に、それこそ劇的に飛び込んでくるのだ。
これは、感動的ですらありますよ。

見えなかったもの、聴覚だけで感じていた『予兆』が、
現実の『映像』として、視覚に飛び込んでくるわけです。

 


ここからは、下のページに掲載されている
リード(編集用語でこう呼びます)を読んでいただこうと思います。
当時、そのままの雰囲気を……。


真っ青な空の真ん中に、ドリフトマシンがいきなり登場する。
エビスサーキットは、最終コーナーを立ち上がって、
かなりきつい上りとなり、頂上に達すると、一気に視界が開ける。


そこからギャラリーコーナーは一望のもとに見わたせ、
審査ポイントとなる第1コーナーまでの道程は、
アッという間のようでもあり、ジリジリするほど長くもある。

もうひとつ言わせてもらえれば、ここから少し下がっていく間に、
最適のドリフトラインにのせてやること、そして、どうやって
審査員にアピールするか……こんなことで、
ドライバーの頭のなかはいっぱいなのだ。

60台を越すエントリーマシンが、一台っきりで、
たったひとつのコーナーを目指して、思いっきり突っ込んでくる。


ギャラリーは、たった一台のクルマにじっと注目する……。

この緊張感がなんともいえず気持ちいいのだ。

最初の完熟走行のときには、自分でも信じられないほどの確率で
ドリフトが決まっていたというのに、本番となると、
どうしたことか、自分のクルマが思うように動いてくれない。
このときほど、悔しいことってない。

いつも通っているときのオイラの走りと、今日のオイラとは、
まったくの別人だ〜! そう叫び出しそうになりながら、
コーナーを……抜けていく。

第1コーナーの崖の上に陣取った審査員&ギャラリー席からは、
ドライバーの表情や感じは、ハッキリとは読み取れない。

しかし、クルマの動き、ドリフトのきまり具合、
そして、コーナーを抜けていく様子を、じっくりと見つめていると、
いろいろなことがわかってしまう。

緊張しているな、とか、メチャメチャ悔しがってるな、とか、
コイツは自分のドリフトに酔っているな……とか、
そんなことを考えながら見物していると、すんごく面白くなってくるんだ。

エキゾーストノートが聞こえてきて、
『そろそろ来るな!』と思っているとこに、
急な勾配を駆け上がってきたマシンが、
それこそ一気に登場する!

このときのドキドキ感は、なんともいえない。
笑い命のクラスから、曲芸クラス、いぶし銀の渋さを誇る
職人芸クラスと、それぞれに特徴のある走りを堪能したあとで、
今回の目玉商品ともいえるグループ交際クラスが登場する。

……ほら、2台のエキゾーストノートが聞こえてきた。

 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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