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中山サーキットにドリコンGP参上!

1989年9月号(中山サーキット)

スポーツランド山梨で誕生した
前代未聞のイベント……
2ヶ月後に中山遠征したら
超満員で観客席が足りない!?

 

 

記念すべき世界初ドリコンGPスポーツランド山梨を
終了したすぐあとに、2回めの開催を企んで、
CARBOY誌上でドリコンGPエントリーの
一般公募を行った。

それが掲載されていたCARBOYの記事を見た全国20数万人は
びっくらこいた。と同時に、「ヨッシャ!! オイラもやったるか!!!」と
勇み立った。それまでも、SUPERアクションという投稿ページに
全国のドリフト野郎からの投稿がひっきりなしに届いてはいたのだが、
自分が主役になれるかもしれない、ドリコンGPというイベント、
しかも、一般公募で……こいつは、ヤル気になるなという方が無理。

一般的に言って、雑誌社が主催するイベントというのは、
大抵の場合、知り合いに声をかけて、あるいは広告関連のスポンサーを
集めて、というケースが多い。だけど、CARBOYは違った。

 

公明正大(?)に、一般公募で決着つけましょう!

 

ま、それほど大層なもんではありませんが、2回目の開催地となった
中山サーキットは、それまでも何度か取材してきたサーキットだが、
チューニングカーレースが開催され、非常に熱い戦いが繰り広げられてきた
サーキットである。


当然のことながら、関東とは違ったドリコンGPになるはず。
そう、予想はしていたけれど、結果から言えば、それ以上だった。

関西&中国、四国地区から集結したエントラントは、
『曲芸』、『笑い命』、『職人芸』、『グループ交際』の
4クラスに分かれて予選を行い、それを勝ち抜いた勝者による
トーナメント戦で、総合優勝を決するという方式。

 

どうして、ドリフトに『曲芸』や『笑い命』といったクラスが
必要なんだ?という、当然の疑問には……答えない(笑)

ま、簡単に言えば、イロイロあったほうが楽しいでしょということです。
小難しく言うなら、ヒトにはいろんな価値観があるし、どちらが正しくて、
どっちかが間違っているということはないし、いろんな価値観同士が、
火花をちらしたほうが面白い。藤本は、そう考えているからです。

 

の記事では、ジェミニがクラッシュパッドに突っ込んでいった
連続シーンを掲載している。だが、ドライバーの石津くんが、
準優勝トロフィーを勝ち取ったのは、クラッシュしたからではない。
クラッシュ後のクシャクシャになったジェミニを駆って、
大迫力のドリフトを見せてくれたからだ!!

クシャクシャのボンネットにガムテープを貼って、それでも挑む
ガッツに、満場のギャラリーが魅せられたからだ!!

当日の中山サーキットは、超満員。

なにしろ、用意された駐車場ではとても足りずに、カート場を始めとする
ありとあらゆる場所を駐車場にして、収容したクルマの数は1000台以上。
もちろん、中山サーキット始まって以来の、満員御礼である。

それに乗っかってきたギャラリーが、メインスタンドをギッシリと埋め、
ドライバーが、迫力のドリフトを見せれば

「ウオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」と、会場が唸るのだ。

こんな状況下で、それでなくても過激な関西ドリフターズは、
極度の興奮状態に陥り、それがいい結果につながれば、
普段の120%の走りを引き出すことになる。

ま、そんなこんなで開催されたドリコンGP中山サーキット編。
おっと、下の記事を見れば、四国の黒ドリ7が予選落ちしております。
でも、これから、ドンドンと過激化&熱狂化していくドリコンGP。

ぼちぼちと、楽しんでいただけるよう、随時掲載していく予定です。

 

©八重洲出版   




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