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灼熱のCB0→400m 一瞬の……夏  

1990年10月号(FISCO)

 

一度のミスも許されない
2ヒートゼロヨンの困難度!?

非常に、印象的な写真であります。
『灼熱』という言葉を絵にしたような……。
ま、とはいっても、これは偶然というか、
意図しなかった『一枚』でもあります。
カメラマンの金上さんが、遊び気分で、
フィルターをかませて撮影したんでしょ(笑)

ですが、その当時の気分というか、
雰囲気を表現するのに、うってつけの『一枚』
でもありました。

CARBOY0→400mが終わったあと、
3人のカメラマンが撮影したポジフィルムは、
だいたい60本くらいでありました。
いまのデジタル写真のように、モニターで何百枚も
一気に見れるわけではなく、ルーペ片手に、
一枚一枚の写真を見ていく……そういう時代でした。

そのときに、自分なりの仕分け方法がありました。
必要な写真を選び、不要な写真を省くのは、
当たり前の作業ですが、それに加えて、
なんか気になる写真を取り置いておく。
とでも言えばいいんでしょうか。

そのときに、大切なのは、写真に写っているものだけを
見るのではなく、レイアウトをして、文字が入ってくることを
想定しながら判別していくということでした。

上の写真を見ていただければおわかりのように、
写真だけでは、なんだかバランスの悪い『一枚』ですが、
文字が入り、罫線が入ることによって、
一気に「ナニかの意味を持った写真」のように
見えてくるという寸法であります。
この手法は、よく使いました。

下の写真を見ていただければ、
そういうやり方が、非常に雑誌的にはイケてることが、
わかっていただけるかもしれません。

スタート前の、スタッフが一息ついているときに、
広角レンズを使って、大胆に歪ませて撮影したものですが、
この写真だけを見ていると……よくある一枚であります。
しかしながら、この歪んだ写真に水平の罫線を引いてみると……。
こんなふうになってしまうわけです。
当時のCARBOYでは、藤本とカメラマンの金上さん、
そしてデザイナーの阿部さんの3人で組んでおりまして、
特集記事のほとんどのタイトル&装飾ページを
製作していました。藤本だけでも、金上写真だけでも
成立しなかった『微妙なバランス』が、誌面を構成していたわけです。

ま、これは、完全に裏方の話でありますが、
誌面作りだけではなくて、CARBOY0→400mなんか、
CARBOYだけの産物ではなくて、全国津々浦々の
ゼロヨンフリークとの共同作戦なくては、
そもそもが成立しなかったイベントであります。

当時は、スタート地点付近にまで
ギャラリー立ち入りOK状態でしたから、
レースを見に来ているというだけではなくて、
このレースに参加しているような気持ちに、
ギャラリーさんもなっていたんじゃないかな?

というわけで、1990年当時のCARBOY0→400mです(笑)

 

ドラッグマシンは、一度だけ速ければいい。
これが本音だ。たった一度でもいい。
ドライブシャフトもちぎれよとばかり、
鳥肌のたつような強烈加速を、
ギャラリーに見せつけてくれればいい。

本当のところは、400mのタイムなど、
どっちでもいいのかもしれない。

そう考えている自分がいる。
もちん、タイムを争う競技である限り、
タイムが、結果のすべてである。
そんなことは当当然のことなのだ。
しかし、そんなことは100万回も
承知のうえで……一度だけ、
一度だけものすごい加速を見てみたい、
できることなら、自分のこの体で体験してみたい
……そう思うのだ。

CBがゼロヨンを踏めてそろそろ10年になる。
この10年のゼロヨン体験のなかで、
いつも頭のすみっこにあったのが、
こういう『感じ』なのだ。
しかしといおうか当然といおうか、
ドラッグ競技をオーガナイズする立場としては
『感じ』だけではすまない。
基本的な条件は同じまま、より苛酷で、
もっと面白い案件をマシン&ドライバーに
要求することになる。
今年のCBゼロヨンは、2ヒート制である。
まず、部習走行を1回して、つづく2回の
タイムトライの合計タイムで勝敗を争う。
もちろん、CBの予算のせいもあるが、
時間の制約がある。

制限時間内に2回の走行を終えなければ、
自動的に失格.....である。
言い換えれば、二度走って、
二度ともいいタイムをマークしないと、
上位には残れないというわけだ。

これは、他のマシンとの闘いというよりも、
自分との戦い、自分のマシンとの戦いである。
すこしのミスが取り返しのつかない
タイムロスとなって自分自身にはねかえってくる。

一度だけの走行で、力尽きてしまったマシンは、
残念ながらお引き取りを願う。
時間内に規定回数を走れなかったマシンも、
心苦しいが予選落ちとなっていただく。

ずいぶんと矛盾した話である。
最初に告白した話とは、ずいぶんと違う話である。
が,しかした。話は最後まで、ジックリと聞いてほしい。
うまい話にゃウラがあるという慣用句とは反対に、
厳しい話にも『ウラ』があるのだ。

二度のタイムトライの結果、
予選上位を占めた8台のマシンには、
最後の一発勝負という逆転パターンが用意されている。

つまり、8台のマシンが、トーナメント方式の
決勝トライをするという趣向が待ち受けているのだ。
厳しい予選を勝ち抜いてきたマシンにとっては
ひと休みするヒマもないという鉄壁の布陣(?)である。
この一発勝負が、CBのゼロヨンマシンに期待する『感じ』である。

ミスをしなかったマシンとドライバーが、
思いっきりアクセルを踏み込み、最後の最後に一発勝負にでる。

この感覚がドラッグなのだ。アメリカのドラッグ勝負は、
隣に並んだマシンより早くゴールに飛び込んだほうが
勝ちというのがルールだ。
極端なことを言えば、ゆっくりとスタートして、
最後のラストスパートで相手をブチ抜けば勝ち.....なのである。
実に単純明解な競技である。

 

  ◇       ◇       ◇

このときのレースを制したのは、
ランキングナンバーの花塚選手だったが、
以降のページを見ていただければ、
実に多種多様のマシンが、CARBOY0→400mに
エントリーしていたことを思い出していただけるでしょう。

ほんと、イッロイロなクルマが、
それも、奇想天外なレベルにまで、
いっぱい存在しておりましたよ……当時の日本には(笑)

 

 

 

 

 



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