ターボマシン激突! FISCOのCBゼロヨン1989-1

1989年1月号(FISCO)

国産L型を中心としたツインターボ勢の激突ゼロヨン
NAからターボへとシフトし、その後10秒という
大きな壁を超したドラッグ軍団が覇を競う!!


CARBOYゼロヨンは、最初谷田部の自動車研究所の総合試験路コースで
産声を上げた。当時のタイムは13秒台。L型フルチューンや13BREが、
NAの排気音を響かせながら競ったものだ。

それからすぐに12秒台に突入し、そこからは一気呵成に10秒台へと
なだれ込んでいった。その後、谷田部の総合試験路では、ゼロヨンならぬ
ゼロセンの1000m勝負へと発展し、その後、FISCOでの開催となった。

今回紹介する1989年のCBゼロヨンは、NAからターボへと進化し、
タイム的にも、10秒という大きな壁を乗り越えた国産ターボマシンが、
死力を尽くして戦うというシーンである。

谷田部時代から、ゼロヨンをリードしてきた柿本レーシングZ、
それを追う和歌山のプライベートファクトリーである、河西モータース、
埼玉のプライベートパワー、どちらもサニーにL型ツインターボを搭載して、
打倒柿本を狙う。この頃は、プライベート&ショップ入り乱れての戦い。

CBゼロヨンと並行して行われていたRRCドラッグレースでも、同様な対決が、
FISCOで繰り広げられていた。

このホームページでは、藤本がやり続けてきたゼロヨン&ドリコンイベント等を
取り上げて再録していくつもりですが、可能ならば、すべての記録を掲載したい
……と思ってはおりますが、CBゼロヨンは21年間行われ、
その後JDDAに引き継がれました。ドリコンGPは、1989年から10年ほど。
つまり、CARBOYに掲載された分量というのは、CBゼロヨンで2000ページ近くに
のぼるものと思われます。ドリコGPでも数百ページはあるでしょう。

ま、あまり根を詰めずに、アットランダムに掲載していく予定です。
当時、エントリーしていたドライバーは、いまではお父さん、いや、ひょっとか
したらおじいちゃんになってるやもしれませんが、息子さんやお孫さんに、
「どうだ、ジイちゃんは、若い頃、こんなことやってて、FISCOでドラッグ
マシンを走らせたんだ!」と自慢できる材料にでもなってくれれば……。
そう思っております。ま、気長にお待ちくださいませ(笑)

ということで、アットランダムに(実はドリコンGPと同じ年だったので、
こいつからスタートさせました)、1989年度の熱いターボバトル、
ご賞味くださいませ!!

 

註:画像は、拡大していただければ、かろうじて文字が読めるようなサイズに
してあると思うんですが……。よろしくお願いします。




















©八重洲出版   





 







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