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SHOPパワーに対抗するPRIVATEドラッグ勢!

1988年2月号(FISCO)

裏庭TUNEで頑張るプライベーター
対抗戦を開催したCARBOY0→400m
本命を覆したドライバーは……

 


今回は、まともな集合写真が、
タイトルページに使われた(笑)

優勝したプライベートサカモトオートZ、
準優勝の岩波スターレット。
その2台を取り囲んでの記念写真であります。

 

坂本くんとは、これよりずい分前の取材で会いました。

あるSHOPのお客さんで、『MACHINE』という
チームを組んでいて、マンハッタンカラーの130Zは、
関東でもよく知られていた……その後、フルカウルの
マシンを入手し、ファニーカーをドライブするようになり……。
お台場で行なわれたイベントで、路面コンディションが原因で、
イベント会場から飛び出してしまうという大事故を経験し、
ミニ屋さんを始めて……と、なんだか詳しいのは、
何度も会ったり、ご飯を食べたり、電話をしたりと、
様々な付き合いがあったからですが、数年前に他界されました。

ヒトに歴史ありといいますが、ゼロヨンという
ひとつのキッカケを通じて、いろんな岐路を経ながら、
びっくりするような人生を送っていくということは、
誰もが、多かれ少なかれ経験することです。

 


プライベーターとして、ショップのクルマと勝負して、
負けるもんかっ!と頑張っているうちに、
自分自身がプロチューナーになっていくケースも多いです。
このときのCARBOY0→400mで、まさかのリタイヤをした
プライベートパワーの小峰さんと、細田さんのコンビは、
それぞれがチューニングショップを開くことになりました。
細田さんは亡くなりましたが、小峰さんはプロモデットで、
元気にポルシェをモディファイしてらっしゃいます。

そして、優勝した坂本さんのエンジンも、
小峰さんが組んだという皮肉(?)な結果を
生んだプライベートCARBOY0→400m

思い起こせば、CARBOYがチューニング取材を
始めた頃は、チューニングショップというよりも、
殆どがプライベーターの延長線上にありました。


舗装されていない細道を辿った先の納屋ガレージ、
シャッター付き貸しガレージを使ったチューンガレージ、
そういったものが当然のようにあったのが、
1980年代のチューニングショップの実情でした。

それから、CARBOYが取材を始め、


あれよあれよという間に、チューニングショップという
業種が『成立!』してしまったわけです。

ま、そんな回顧録はさておいて、
プライベーター対抗のCARBOY0→400m、
青春の思い出的に記録しておきたいと思います。

 
 
 
 

 



↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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