POWER競争とは別のラインを
歩み始めた国産NAチューンマシンが
新たなカテゴリー分けで競り合う!!
谷田部からFISCOに舞台を移したCARBOY0→400mだが、
1985年度の4戦を開催してみて、分かったことがあった。
「TURBOとNAマシンを一緒に走らせてはダメだ」
そうなんです。谷田部時代には、まだ両カテゴリーには、
それぞれのアドバンテージが存在したし、
「TURBOとNAとどちらが速い?」という
いまでは考えられないような比較が行われていた。
しかしながら、1985年の4戦を振り返ってみると、
たったの1、2年の間に、両者の間には大きなタイム差が
生じるようになっていた。
前年度の優勝マシンはといえば、
大阪ツインターボパワーのセレクトZ、
NOSからツインターボ化したビルドサニー、
そして大排気量V8パワー……そして、
ウエット路面のSAKOツインターボL型。
なにしろパワー競争の時代だったのだ。
RS・APOスターレット、テスタロッサ130Z、SSシノハラサニー、
ドライブショップR・Z、シマダドラッグZ、カーショップ亀有S130Z、
ファクターメカチューンZ、エスコートZ……これが、BEST8に
勝ち進んだマシンたちだった。
この年から始まったTURBOとNAの区分けは、
あの頃の混沌とした状態から、一気にPOWER競争へと
変化していった状況に対応しようと考えたものだった。
CARBOY0→400mと並行して開催されていた
RRCドラッグレースとのからみもあって、
時代はTURBOとNAの二極化に進み始めていた。
とまあ、それらしい解説は、あまり親近感がわかないだろう。
時代の感触としては、チューニングショップのワークス的な
マシンが、こぞってTURBOパワーの競争に突進していくなか、
それ以外のショップのお客さんマシンや、プライベーターが
NAマシンのカテゴリー内での競争を始めていった……となるのだろうか。
RRCカテゴリーのAAA-PROクラスと、AAセニアクラスの違い、でもあった。
それをCARBOYでは『TURBO』と『NA』というクラス分けにした。
だから、上記の8台の決勝進出マシンの顔ぶれを見ていると、
その時代の変遷途中であるということが、分かってもらえるかもしれない。
下のページで紹介しているのは、
シマダドラッグZの石渡選手であり、
プライベートパワー311サニー組でありました。
このときのルールでは、参加36台で3回の予選を行ない、
TOP8台によるトーナメントという方式でした。
つまり、BEST8に勝ち残れなかったマシン&ドライバーは、
28組いたわけです。
そのなかには、マグナムドラッグZ、クオーターマイル7、
TOBANレーシングJAPAN、RSヤマモトZ、ガレージ伊藤Z、
コクピット館林Z、サンユードラッグスカG、
Rファクトリーサニーといったマシンがあった。
タイム的には、TOP8は中盤。
予選落ちは11秒前半から12秒
当時のNAベストタイムランキングを
参考にしていただければ、それぞれのタイムが、
非常にハイレベルであることがわかってもらえると思う。
それぞれのクルマと一緒の記念写真的なものを
いま、ジックリと眺めてみると……故人になられた方もいるし、
まだまだ現役の人たちもいます。
あ、お盆も明けましたね〜。
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