INDEXへ戻る


TURBOとNAに分かれた国産ゼロヨン!!

1986年5月号(FISCO)

POWER競争とは別のラインを
歩み始めた国産NAチューンマシンが
新たなカテゴリー分けで競り合う!!


谷田部からFISCOに舞台を移したCARBOY0→400mだが、
1985年度の4戦を開催してみて、分かったことがあった。

「TURBOとNAマシンを一緒に走らせてはダメだ」

そうなんです。谷田部時代には、まだ両カテゴリーには、
それぞれのアドバンテージが存在したし、
「TURBOとNAとどちらが速い?」という
いまでは考えられないような比較が行われていた。

しかしながら、1985年の4戦を振り返ってみると、
たったの1、2年の間に、両者の間には大きなタイム差が
生じるようになっていた。

前年度の優勝マシンはといえば、
大阪ツインターボパワーのセレクトZ、
NOSからツインターボ化したビルドサニー、
そして大排気量V8パワー……そして、
ウエット路面のSAKOツインターボL型。

なにしろパワー競争の時代だったのだ。


RS・APOスターレット、テスタロッサ130Z、SSシノハラサニー、
ドライブショップR・Z、シマダドラッグZ、カーショップ亀有S130Z、
ファクターメカチューンZ、エスコートZ……これが、BEST8に
勝ち進んだマシンたちだった。

この年から始まったTURBOとNAの区分けは、
あの頃の混沌とした状態から、一気にPOWER競争へと
変化していった状況に対応しようと考えたものだった。

CARBOY0→400mと並行して開催されていた
RRCドラッグレースとのからみもあって、
時代はTURBOとNAの二極化に進み始めていた。

とまあ、それらしい解説は、あまり親近感がわかないだろう。

時代の感触としては、チューニングショップのワークス的な
マシンが、こぞってTURBOパワーの競争に突進していくなか、
それ以外のショップのお客さんマシンや、プライベーターが
NAマシンのカテゴリー内での競争を始めていった……となるのだろうか。

RRCカテゴリーのAAA-PROクラスと、AAセニアクラスの違い、でもあった。

それをCARBOYでは『TURBO』と『NA』というクラス分けにした。

だから、上記の8台の決勝進出マシンの顔ぶれを見ていると、
その時代の変遷途中であるということが、分かってもらえるかもしれない。

下のページで紹介しているのは、
シマダドラッグZの石渡選手であり、
プライベートパワー311サニー組でありました。
このときのルールでは、参加36台で3回の予選を行ない、
TOP8台によるトーナメントという方式でした。

つまり、BEST8に勝ち残れなかったマシン&ドライバーは、
28組いたわけです。

そのなかには、マグナムドラッグZ、クオーターマイル7、
TOBANレーシングJAPAN、RSヤマモトZ、ガレージ伊藤Z、
コクピット館林Z、サンユードラッグスカG、
Rファクトリーサニーといったマシンがあった。

タイム的には、TOP8は中盤。
予選落ちは11秒前半から12秒

当時のNAベストタイムランキングを
参考にしていただければ、それぞれのタイムが、
非常にハイレベルであることがわかってもらえると思う。

 

それぞれのクルマと一緒の記念写真的なものを
いま、ジックリと眺めてみると……故人になられた方もいるし、
まだまだ現役の人たちもいます。

あ、お盆も明けましたね〜。

 

 



↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


TOPへ戻る

↑イロイロな記事がありますので、
Contentsページをご覧になってくださいませ!