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FISCOでCARBOY0→400mトーナメント戦!!

1985年06月号(FISCO)

百花繚乱のエントリー
CARBOY0→1000mから
CARBOY0→400mに移行した
JAPANESE DRAGマシン達




CARBOY0→400mには、「チキチキマシン」というジャンルが存在する。


語源として考えられるのは、
映画の「チキチキマシン猛レース」だろう。
あれは、Miniをベースにしたものだったが、
CARBOY誌上での「チキチキマシン」というのは、
大抵がゼロヨン用に作られたハンドメイドの改造マシンをいう。

小さなボディに大排気量エンジンを搭載したり、
ボディを大幅改造して、超軽量化、あるいは、サイズ変更、
エンジン搭載位置の大幅変更、度肝を抜く肉抜き……とまあ、
手法はいろいろだが、すべてに共通しているのは、
『軽量ボディ』に『大出力エンジン』を『効率的』に搭載すること。

谷田部の高速周回路から、FISCOのストレートに場所を移した
CARBOY0→400mの第2戦は、初戦から2ヶ月後に開催された。

…………この年は、年4回の開催だったが、この後8月号→12月号と開催。

よく考えてみれば、クルマ雑誌が、FISCOを借り切って、
全国公募のレースイベントを主催するということは、
なかなかにあることではない。いまになって考えれば、そう思う。

だけど、当時は、そんなことは考えもしなかった。
面白そうだから、やる。

いろんな人間が、雑誌社主催のイベントに出場することを目標に、
奇想天外なマシンを作ってくる。それを、一般公募しながら、
イベントを開催して、誌面で全国的に紹介する。

そういうシステムを、作りたかったのだ。

一般的に言って、レースというのは、主催者が存在して、
エントリーフィを徴収して、レースを開催する。
そのレース内容に興味があった場合、雑誌社の編集部から、
取材の依頼等があり、結果的に雑誌の誌面に掲載される。

これが、一般的なシステムであります。

しかしながら、CARBOYという雑誌は、そういう『一般的』な
やり方をすっ飛ばして、自分たちでレースを企画して、
そいつを開催して、誌面に展開する……という手法をとった。

当時のCARBOY0→400mは、コースを借りる費用は編集部予算。
エントリーフィはなし。レース運営のためのスタッフは編集部員兼任。
計時も、誘導も、車検(あ、これはやらなかった)、進行も、
すべて編集部内で行なった。

 

だから、当時編集長だった池田さんは、スタート地点の誘導係だったし、
パドックの整理、ゴール地点での安全確認は、それぞれ配置。
だから、一日中、ゴール横で待機している人間もいたし、
計測係だった女性の原ちゃんは、寒いときは毛布にくるまりながら、
タイムを記録し続けた。

藤本はと言えば、記事担当なので、スタート地点に設けた机のうえで、
各マシンの特徴や、スタート時のことをメモっていた。

第2回目となるCARBOY0→400mには、
全国から、様々な種類のマシンが集まってきた。
上のトーナメント表を見ていただければわかるように、
ターボとメカチューンが混在している。
たしか、1回戦の組み合わせは、くじ引きで行なったんじゃないか?
……いや、違う。トーナメント表の一番下に、カッコで括られた
タイムがあるから、予選をやったんですね。
その結果をもとにして、トーナメントラダーを組んだんですね。
ハハッ、藤本の記憶というのは、それほどいいかげんです(笑)

このときの誌面構成としては、優勝マシンをトップに掲載するのは
ま、それはそれでありますが、その次のページというのは、
藤本が『なんかページ』と呼んでいる無駄遣いページであります。
あってもなくてもいいページ、ですが、そういうページがないと、
記事としては、なんだか、つまんないんです(笑)
だから、藤本の作る特集には、必ずといっていいほど、
このような『なんかページ』が存在します。

ときには、『なんかページ』ばかりで特集を作ってしまうことも(笑)

ま、それはそれとして、下のページには、参加マシンの全紹介が
掲載されていますが、じっくりと眺めていけば、ホントに種種雑多な
マシンが集まっていることに、いまでは感動すら覚えます。

様々なタイプの「チキチキマシン」が、今後のCARBOY0→400mには
登場してきますが、その予兆と言うか、そういうものが感じられますね。

そして、1回戦→2回戦→3回戦→準決勝→決勝というふうに、
ページは展開していきますが、ふと考えれば、32台のフルラダーです。
ターボあり、メカあり、チキチキあり、オーソドックスあり。
いまから考えれば、タイム差もあるし、レギュレーションもないし、
非常にアバウトなレースであることは間違いないですね。
同時期に行われていたRRCのドラッグレースでは、
排気量やクルマの作り等によって、ある程度のクラス分けが行われて
いましたが、CARBOY0→400mはなし(笑)

昭和ボデーの大改Z、SSシノハラ、サンユーのパイプフレーム、
テスタロッサのニトロLY……チョップトップあり、ホーシングありの
これからのCARBOY0→400mを盛り上げていく要素が120%満載。

そして迎えた決勝は、ビルドサニーとベルレイスカイライン。
かたや軽量サニーボディにターボのL型、一方はメカチューンL型。
ビルドファクトリーの野谷さんと、河西モータースの和田さん、
タイプの違う東西のチューナー製作のマシンが争ったわけだが、
ここは躍進著しいターボパワーの勝利……いまなら、
「当たり前でしょ?」ということになると思うが、


この当時は、徐々に「やっぱりターボのほうが速い!」
という認識ができ始めた頃だった。

そして、イベントページの最後には、
いつもいつも、当日のこぼれ話。
四角四面のレースレポートであれば、
こういうものは『ゴミ扱い』になるのだが、
CARBOYとしては、こういうのこそが美味しい話(笑)

いろんな人間がいて、様々な事情があり、
勝てなかったけど、タイムは出なかったけど、
そのヒトにとってのドラマというやつが、
必ず存在するはずなんです。

 

このレースに出場したドライバー、チューナー、
付き添いとしてFISCOにやってきたヒトたち、
ギャラリーとしてグランドスタンドから、
あるいは、コース上で、CARBOY0→400mを体験したヒトたちは、
若いひとでも40台、普通に考えれば50台から60台という年齢に
達しているはず。なにしろ、このレースが行なわれたのは、
1985年ですから、32年前ということになります。

当時18歳であれば40歳。30歳であれば……ですね。
息子さんがいれば大きくなっているどころか、
お孫さんがいるひとも多いと思います。
あ、このとき出場して、FISCOのコース上に
オイルをぶちまけたオムスビセブンの
和歌山の四宮さんは、先日、お孫さんができたと
言ってましたね〜。

「おじいちゃんにも、青春時代があって、
無茶なことしたり、ヒトに迷惑かけたことも
あったんだよ……ね……(笑)’

 

 




↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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