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ゼロヨン日本一決定せん!?

1989年7月号(谷田部自動車試験場)

なんと、参加台数10台という小規模でスタートした
CBゼロヨン第1戦だが、あれから36年……
日本のドラッグシーンもメチャメチャ変貌しました!!

 

本当になにも知らないところから始めたCBゼロヨン


いろんなひとに話をしていることだが、もともとの
CBはオートメカニックみたいな雑誌にしたい
と思って創刊した雑誌だった。

だけど、雑誌というものは生き物だった。

世の中に、いや真夜中にブンブンいわせている
若い衆がいっぱい出現した。こいつはクルマ好きなのだ。
そう直感した。クルマ好きというのは、クルマがただただ
好きだけじゃなくて、走ってナンボのものだ。

オマーリさんに追いかけられようが、オメーは
ボーソーゾクだと言われようが、そんなことは
ちょいと違うことなのだ。オイラはオイラの好きな
クルマの楽しみかたをしたいだけなのさ……これが

CBゼロヨンの出発点だった。
そして、いまもCBゼロヨンの原点である。

オルタネーターの配線を巻き直すばかりではなくて、
クルマ全部の面倒を見たい。後輩にも、知らない女の子にも
「カッコイイ!」と言われたい。
これが全て……だと思う。だからこそパワーが出る!!

CBという雑誌は、それくらいのもんです。
あまり深いこと考えているわけでもなく、ハヤリモノに
飛びつくわけでもなく。だけど、クルマが持っている
強烈な吸引力というものに関しては、チャンと
正対していこう……そう思っとります。

そういう意味で、良い子ゼロヨンというイベントは、
本当に面白かった。噂じゃ12秒前半は確実と
言われているマシンが、その実、13秒後半しか
出ない……このギャップが、ボクたちの
原動力になった。この歯がゆさが、
タイムアップの出発点になった。

ウン、そうじゃなきゃカッコわるい!?


 
                                          ©八重洲出版 


涙なくしては語れない!? 
噂と幻のマシン&チューンが蘇るCB伝説 vol.1
LEGEND of CARBOYvol.1
[ゼロヨン日本一決定せん!?]


1980年。その頃ストリートゼロヨンの噂は、
ウワサがウワサを呼んで、推測タイム、
口先タイムはどんどんと速く(?)なっていた。
雑誌社主催のゼロヨン大会というと、CBの
姉妹誌であるドライバー、そしてホリデーオート誌が、
誌上でゼロヨンチャレンジ&対決の企画を組んだことがあった。

チューニングカーの最高速はモーターマガジン誌が
最初だった。当初はクルマの修理&メインテナンス雑誌として
スタートしたCBだったが、次第にチューニングの
魅力と迫力にズッポリと浸かり始めていた頃でもあった。

で、噂を確かめるべく深夜のゼロヨンコース取材、
ストップウオッチを持ってのストリートゼロヨン
タイム計測(これがまたムチャクチャな企画だった)等の
ゲリラ取材を繰り返しながら、いつのまにか、
CBでもキチンとしたゼロヨンをやりたい……
そういう結果が、1981年に行なわれた
「ゼロヨン日本一決定せん!?」だった。

ふざけたタイトルだった。だけど、11台の
エントリーマシンのなかには、ノーマルのゼロヨン
タイムより遅いクルマもあったし(もちろん、ターボ
チューンやメカチューもいた結果だったのだが)、
一番時計がRE雨宮自動車の13BサイドポートSA22Cの
14秒40、2位が箱スカL20改2.6♀の15秒30……
CBでチューンしたL26改3♀は、17秒14という惨憺たる戦績だった。

タイムアタック風景は、いまでは想像ができないほど
のんびりしていた。スタート方式は、マイクロスイッチ。

400m地点にテープスイッチをセットし、そのテープ
スイッチを踏まないとタイムが計測できないという状態だった。

しかし、だ。こののどかなCBゼロヨン第一戦が、
その後のCBゼロヨンのルーツであることは間違いない。
この後、ショップチューンのマシンがドンドンと
エントリーを開始し、「CB良い子ゼロヨン」となり、
ショップワークスマシンが常連になって
「CBショップ対抗ゼロヨン」となり、
「ショップ対抗ゼロセン」に発展し、

そして現在のように、富士スピードウエイに場所を移して、
「CBゼロヨンGP」に成長したというわけだ。

14年である。アッという間だといえばそうだけど、
長いといえばすごく長いような気もする。
この頃CBの読者で、現在はチューニングショップの
オーナーになっていたり、筋金入りのドラッグマシンを
作っていたりするひとも多い。

この14年間の間に、他の雑誌社主催のゼロヨン大会が
開かれたこともあった。だけど、そのどれもが単発モノ、
企画モノだった。ずっと継続しているのは、
CBとRRCくらいのものだろう。

ま、ちょっと形態は違っているが、
この14年間の最初の最初が、これだったのだ。

ストリートから発生したゼロヨンが、時間が
経つにつれて、専用のパーツ、サスペンション、
タイヤ、そしてフレームを持つようになってきて、
いまでは7秒台をマークするようになっている。

このときの冒頭のには、「ノーマルよりも遅い
チューンドカーが続出で、とてもとてもゼロヨン
日本一など決定できませんでした、はい」とある。

ホンネだった。噂では12秒とか、11秒という
口先タイムが、いかに口先だったのか。それ以降、
CBではできるだけ誇大広告なしに記事を作って
いこうという姿勢ができてきました。

『一般公募によるゼロヨン』
『ゼロヨンが好きなやつが集まるゼロヨン』

これが、いまでも変わりなく受け継がれている
CBのゼロヨン精神であります。ハイ。

 

●第一回CBゼロヨンは、茨城県にある
谷田部の自動車試験場。総合試験路で行なわれた。
いまから考えると、すごくのんびりしてた。

●全参加者を集めての記念写真だが、それでも
足りないとカメラマンが言うので、CBスタッフ
入って……でもこれだけ。

●RE雨宮自動車からは、おなじみの雨さんと、
いまではアクティブ社長の井上さん。サイド
ポート仕様でレーシングレイン装着。


 





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